
哺乳類のうち、育児するオスは稀です。
哺乳類全体の中で、父親が積極的に子育てに関わる種は、わずか3〜5%程度とされています。
多くの種では、オスは子に無関心か、場合によっては攻撃的です。
いったい、ここまで大きな偏りがあるのでしょうか。
アメリカ・プリンストン大学(Princeton University)の研究チームは、父親マウスを「世話好き」にするか「虐待者」にするかを分ける、脳内の分子スイッチを特定しました。
この研究成果は2026年2月18日付の『Nature』に掲載されました。
目次
- 父親マウスを「世話好き」から「虐待者」に変化させる遺伝子を発見
- 父性を弱める分子スイッチの正体とは?
父親マウスを「世話好き」から「虐待者」に変化させる遺伝子を発見
研究の対象となったのは、Rhabdomys pumilioというマウスです。
この種は珍しく、オスが子を舐めたり、毛づくろいをしたり、体で包んで温めたりと、積極的に育児に関わることが知られています。
しかし、すべてのオスが模範的な父親になるわけではありません。
あるオスは、子を丁寧に世話する「スーパーお父さん」になり、別のオスは、子をほとんど無視する「ネグレクトお父さん」 になります。
そしてなかには、子に攻撃して傷つけてしまう「虐待者」になる個体もいます。
同じ種で、遺伝的背景も大きくは違わないはずなのに、どうしてここまで行動が分かれるのでしょうか。
研究チームはまず、育ち方の違いに注目しました。
離乳後から成体になるまでのオスを、1匹ずつ分けて飼う「単独飼育」と、複数のオスを一緒に入れる「集団飼育」の2条件で育てました。
すると、単独で育ったオスは高い確率で育児行動を示し、集団で育ったオスは子に対して無関心または攻撃的になる傾向が強いことが分かりました。
社会的な密度が高い環境では、父性行動が抑えられやすいのです。
次に研究者たちは、子マウスを見せたときに脳のどこが反応するのかを調べました。
その結果、視床下部にある「内側視索前野(MPOA)」という領域が強く活動することが分かりました。
この場所は、他のげっ歯類で母性行動の中枢として知られている部位です。
育児的なオスでは、子に触れたときのMPOAの活動が特に高く、無関心・攻撃的なオスでは活動が低いままでした。
つまり、オスもメスも共通の「育児中枢」を持っており、その働き方に違いが出ているようなのです。
さらに研究チームは、MPOAの細胞レベルでの遺伝子発現を調べました。
その結果、育児行動の強いオスと、子殺しを示すオスとのあいだで、最もはっきりした差が出たのが「Agouti(アグーチ)」という遺伝子でした。
育児行動が多いオスでは、この領域でのAgouti発現が低く、子に攻撃してしまうオスでは発現が高かったのです。
Agoutiがどのように父性行動を弱めているのか、その仕組みと意味については次項で詳しく見ていきます。
父性を弱める分子スイッチの正体とは?
Agouti遺伝子は、もともと毛色や代謝に関わる遺伝子として知られていました。
この遺伝子がつくるタンパク質は、メラノコルチン受容体に作用し、食欲やエネルギー代謝の調整にも関わることが分かっています。
今回の研究では、このAgoutiがMPOAでも働いていることが示されました。
Agoutiの発現が高いオスでは、MPOAの神経細胞で、活動の指標となる遺伝子のスイッチが入りにくくなっていたのです。
育児行動と強く相関しているこの脳領域の働きが弱まることで、子への接触や世話行動が減ってしまうと考えられます。
この関係を確かめるために、研究チームはMPOAの神経にAgoutiを人工的に多くつくらせる実験を行いました。
その結果、もともと子どもに対して曖昧な態度だったオスでは、子をかみ殺してしまう個体が増えました。
一方、もともと熱心に世話をしていたオスでは、世話の時間が減り、より無関心な態度へと変化しました。
つまりAgoutiは、父親行動を完全に切り替えるというより、優しい父親を素っ気ない父親へと押し戻し、状況によっては危険な行動へ傾けてしまう「調整スイッチ」のように働いていると考えられます。
では、このAgoutiの量を決めているのは何でしょうか。
研究では、集団飼育のオスでAgouti発現が高く、単独飼育のオスで低いことが確認されました。
さらに、集団飼育で育ったオスを単独環境に移すと、時間の経過とともにAgouti発現が下がり、子殺しは見られなくなり、子どもへの態度も世話寄りの方向へと変化しました。
一方で、短期的な食事制限ではAgouti発現や父性行動に大きな変化は見られませんでした。
つまり、影響しているのは空腹ではなく、長期的な社会環境だと考えられます。
群れが混み合い競争が激しい環境では、自分の生存や次の繁殖機会を優先する戦略が有利になる場面もあります。
一方、単独で暮らす状況では、今いる子どもに投資するほうが有利になる場合もあるでしょう。
Agoutiは、そのような戦略のバランスを脳内で調整している仕組みの一部かもしれません。
ちなみに研究者たちは、この結果をそのまま人間に当てはめることには慎重です。
ヒトにもMPOAやAgoutiは存在しますが、同じ仕組みが父性を決めているという証拠はありません。
父親としての行動は、遺伝だけでなく、経験や文化、社会的な要因が複雑に絡み合ったものです。
参考文献
This Gene Turns Some Mouse Dads Into Caregivers—and Others Into Killers
https://www.zmescience.com/ecology/animals-ecology/this-gene-turns-some-mouse-dads-into-caregivers-and-others-into-killers/
The making of doting dads may involve a specific gene
https://phys.org/news/2026-02-doting-dads-involve-specific-gene.html
元論文
Agouti integrates environmental cues to regulate paternal behaviour
https://doi.org/10.1038/s41586-026-10123-4
ライター
矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。
編集者
ナゾロジー 編集部

