「円安の日本では稼げない」という外国人労働者
医療も同じ構図にある。診療報酬は低く、大学病院では教授に至るまでアルバイトの掛け持ちが常態化している。看護師免許を持ちながら、激務と低賃金で現場を去る人が後を絶たない。
団塊ジュニア世代が本格的に高齢期へ入ったとき、この医療現場は本当に持ちこたえられるのだろうか。
コンビニですら、いまや技能実習生や外国人労働者なしでは回らない。しかし最近は、その彼らから「円安の日本では稼げない」という声が聞こえ始めている。
移民を受け入れなければ機能しない社会を作り、その移民にとってすら割に合わない国にしてしまった。もし彼らが日本に見切りをつければ、人手不足はさらに深刻化し、サービスの劣化と価格上昇が同時に進む。二極化は、もはや統計ではなく、日常の実感として露わになっていく。
そもそも円安を容認したまま物価高対策を行うという発想そのものに矛盾があるのだ。輸入依存の日本にとって、円安と物価対策は本来対極にある。
それでも「責任ある積極財政」の名の下で補助金や給付金を積み上げる。それはブラックホールに資金を投げ込むようなものだ。為替と輸入物価の重力に吸い込まれ、手応えを感じる間もなく消えていく。残るのは財政の空洞化と「やった感」だけである。
円はやがて「価値の物差し」としての信頼を失っていく
円の国際的価値は、この8年で4割以上棄損した。通貨とは国家の信用そのものだ。その信用が削られ続けている状態で掲げられる「責任ある積極財政」。ここでいう「責任」が何を指すのか、問われるべきだろう。
円はやがて「価値の物差し」としての信頼を失っていく。それはハイパーインフレではない。もっと静かで、しかし深刻な変化だ。
市場では別の現象が進んでいる。東証売買代金の約7割は外国人投資家だ。多くのヘッジファンドや投資銀行は、日本の金融機関から円建てで資金を調達し、その円で日本の株式を買い漁り、不動産を買い漁る。
株で儲け、資産価格で儲け、円安で為替差益を得る。三重取りだ。しかもその土俵は、日本の低金利と超緩和が用意したものだ。拍手を送る裏で、果実は静かに海外へ移転していく。
そもそも市場というものは、構造上、常に少数派が勝利するようにできている。多数派が安心し、同じ方向を向いた瞬間、その期待はすでに価格に織り込まれている。勝者は集中し、敗者は静かに広がる。

