政府は「DXによる監視」を掲げ、不適切な運用を防ぐと豪語するが…
制度面を見ると、2024年の法改正で裁量労働制の適用には「労働者本人の個別同意」が厳格に義務付けられている。会社が一方的に押し付けることは違法であり、同意しなかったことによる不利益な取り扱いも禁じられている。
しかし、問題は制度の美しさではなく、それを支える「国家の実務能力」と「企業の評価能力」だ。
政府は「DX(デジタルトランスフォーメーション)による監視」を掲げ、不適切な運用を防ぐと豪語する。
しかし、過去に起きた接触確認アプリの機能停止やマイナンバー連携トラブル、IT事業への会計検査院の度重なる是正や改善の求めを見れば、「監視のDX」に不安が向けられるのは当然だ。
「形だけのデジタル化」は、ブラック企業の巧妙なデータ改ざんを見抜くどころか、無実の企業にまで無意味な事務負担を強いる恐れがある。
裁量労働制の拡大は実際に運用する企業側に大きな壁が存在する。多くの企業で「形だけの成果主義の形」が導入され、評価基準が曖昧だったり目標が高すぎたり、業務量・期限が上司主導のままだったりするためだ。
これらがプレッシャーとなり、効率化しても仕事が減らず、長時間労働が常態化する。厚生労働省の実態調査でも、こうした運用不備が長時間化の主因と分析されている。これを放置すれば本末転倒であり、課題は根深い。
裁量労働制を拡充した結果、「24時間365日、仕事のことが頭から離れない状態」になってしまっても、それは真の自由とは呼べない。
週55時間以上の労働が健康リスクを高めるという研究は無視できず、会社に預けていた時間の主導権を、真に労働者の手に取り戻せるかという一点に、この議論の成否はかかっている。
制度の悪用を防ぐには、行政による監視以上に、労働者が不当な職場を即座に見限れる「労働移動の円滑化」が不可欠だ。
日本で裁量労働制が「働かせ放題になる」と恐れられる真の理由は、一度入社すると他社へ移りにくい労働市場の「硬直性」にある。
もし、解雇規制の見直しや労働実態の透明化が進み、不当な扱いを受ける労働者が「リスクなく、いつでも他社へ逃げられる」環境が整えば、状況は一変する。
労働者に選ばれなくなったブラック企業は、人手不足によって市場から自然に淘汰されるからだ。つまり、労働者の「自由に会社を去る権利」こそが、制度の悪用を抑止する最大の防護壁となる。
政府の監視か、市場による淘汰か
裁量労働制が本当の意味で広がれば、働かないおじさんは三つの選択肢を突きつけられることになる。
まずは専門性を磨き直し、成果で評価される存在へ「変わる」道。次に、最低限の目標のみを達成し組織に「居残る」道。この場合、評価の透明化が進めば昇給停止や降格は免れない。最後は適応を断念して組織を「去る」道だ。いずれにせよ「何もしない」という選択肢は消滅する。
市場原理が導入され、居場所が失われることは、裏を返せば、自らのスキルを見つめなおし、働きたいと思えるような新たなやりがいや場所を見出す好機でもある。
しかし、これは決してベテラン層の切り捨てを意味しない。JILPT(労働政策研究・研修機構)の研究が示す通り、肝要なのは単なる淘汰ではなく、自発的なリスキリングを通じたスキルの現代化と、円滑な労働移動の支援である。
高市首相が押して、押して、押しまくる「成長のスイッチ」が吉と出るか、凶と出るか。それは、労働者自身が「時間の切り売り」という鎖を捨て、自らの価値で生き抜く覚悟を持てるかどうかにもかかっている。
改革の痛みを超えた先に待つのは、世代を問わず誰もが自律的に働き、価値を正しく評価される、風通しの良い日本社会の姿であるはずだ。
文/村上ゆかり 写真/shutterstock

