東京で暮らす落ちぶれた俳優フィリップは、日本での生活に居心地の良さを感じながらも、本来の自分自身を見失いかけていた。そんな中、“レンタル家族”として他人の人生の中で“仮の”役割を演じる仕事に出会い、想像もしなかった人生の一部を体験する。最初は戸惑いつつも仕事を通して出会った人々と交流していくうちに、彼の心も少しずつ変化してゆくーー。
注目の日本人監督HIKARIがメガホンをとり、アカデミー賞主演男優賞に輝いたブレンダン・フレイザーが、日本を代表する多彩なキャストとともに、「家族」の意味、「人生」の意味を問う。
予告編制作会社バカ・ザ・バッカ代表の池ノ辺直子が映画大好きな業界の人たちと語り合う『映画は愛よ!』、今回は、『レンタル・ファミリー』のHIKARI監督に、本作品や映画への思いなどを伺いました。
ハリウッドで映画監督になるまでの道のり
池ノ辺 とても素敵な作品でした。もう笑って泣いて、ぐちゃぐちゃになるくらい (笑)。この作品を作り上げるまでの日々は、並大抵のことではなかったんじゃないかと思います。監督は、18歳からアメリカに行ってらしたんですよね。
HIKARI そうです、高校3年生のときです。
池ノ辺 映画の勉強で、ですか。
HIKARI 違います。私はもともとお芝居がしたかったんです。舞台芸術が好きで、特にミュージカルが好きでした。歌って踊るのが大好きでしたから、そっちの道に進めたらいいなと思っていたんです。それで向こうの高校を卒業した後、日本に戻ってきて、日芸 (日本大学芸術学部) に行こうかなと思って受験勉強をしていたんですが、ある時、うちの母が、「日芸は学費が高い」と気づきまして、「うち母子家庭やで! 」と (笑)。こっちも「ですよねー」としか言えない。そうしたら母が「だったらもうアメリカ戻ったら? 」と言うんです。言われたその瞬間、今でも覚えてますが、赤本をぱたっと閉じて、そしてアメリカの大学にアプリケーションを出し始めました (笑)。
池ノ辺 再び女優を目指されていたんですか?
HIKARI そうですね、大学では舞台芸術を専攻していました。舞台芸術と音楽を専攻して、さらにダンスと美術も。美術はいろんなことをやりましたよ。油絵、水彩画、鉛筆画、さらに陶芸とかリトグラフィーとかね。ジュエリーを作ってみたり。舞台のほうは演技のほかにコスチュームデザインの勉強もしました。
池ノ辺 そうやって勉強したことが今、全部生かされているわけですね。その学びが作品になっていると。
HIKARI そうなんでしょうね。実際、今、映画監督になって、「あ、映画って本当に総合芸術やな」ってすごく思うし、これまで人生でいろいろなことをやってきたのが、最終的に映画監督という仕事にたどり着いたんだと思います。
池ノ辺 でも、映画監督って、なろうと思ってもなれるもんじゃないですよね。そもそも舞台女優に憧れていたところから、どうして映画監督になったんですか。
HIKARI これもまた母がきっかけなんです (笑)。アメリカで大学を卒業したあと、ハリウッドでコマーシャルとかミュージックビデオとかいろんなオーディションを受けて、8年くらいは結構仕事が来てたんです。ちょっとした役でもね。ただ、ビザがないとオーディションは受けられませんから、それを確保しておくためにもと、スチールのカメラマンをしていました。それが、28歳か29歳、その辺りでオーディションがピタッと来なくなったんです。
池ノ辺 役者としてのオファーが?
HIKARI そうです。20代の頃には「踊れるし、可愛いし、若いし」っていうので来ていたお仕事が、急にピタッと止まってしまって、気がついたら「アジア人の看護師」とか「受付嬢」とか、そういう役しか来なくなった。でも当時の私は髪もアフロにしてて全然そんなイメージじゃないんです (笑)。「あれ? あ、やばい、どうしよう止まった。こんな簡単に、今まで来てた仕事が止まるもんやな」と思いました。でも、役者としてはもう十分楽しませてもらったので、違うことを始めるのは今がチャンスかなとも思っていた時に母が言うんです。「あんたそんな可愛くないねんから、女優なんて無理や」って (笑)。お母さんは可愛いんですけど、残念ながら、私はお母さん似じゃない (笑)。
池ノ辺 お母さんすごいですね (笑)。
HIKARI そうなんです。さらに、「あんたがちっちゃい時からずっと言うてるけど、あんたは舞台裏のほうが合ってる。後ろから支える仕事のほうがいい」って言うんですよ。そんなふうにいわれたところから、「監督業ってどうだろう? 」ってなったんです。以前コマーシャルの仕事をしてた時に、撮影監督もする、大好きな監督さんがいて、その人のように作品を作りたいと思ったのがきっかけですね。たまたま私の家から車で15分くらいのところにUSC (南カリフォルニア大学) があって、ここならお金がなくてもバスで通えると思って受けたら受かったんです。
池ノ辺 そこで映画の勉強をして、映画監督の道がスタートしたんですね。
HIKARI はい、そうです。
池ノ辺 人生は、何がきっかけでどういうふうに変わるか、わかりませんね。
HIKARI わからないです。だからね、「おっ」と思ったらまずはトライしないとダメなんですよ。これはもう皆さんに認識しておいてほしいです。
「レンタル・ファミリー」という日本のビジネスにインスパイアされて
池ノ辺 監督が『レンタル・ファミリー』を作ろうと思ったきっかけ、日本で撮ろう、と思ったのは、なぜですか。
HIKARI そもそも「レンタル・ファミリー」というビジネスの存在自体が、私にはすごく不思議な感じがしたんです。日本にはそういうビジネスモデルの会社が300くらいあるそうなんですけど、私は日本人でありながら、それが異国的な感じがしたんです。「人をレンタルする」ってどういうこと? となって、そこからいろいろ調べてみたんです。どうしてこのビジネスが日本で成り立っているのか、どういう人が使っているのか、どういう人がこのサービスを提供しているのか、そういうのがすごく気になって、リサーチしていったところ、いくつか心を打たれるお話に出会ったんです。
池ノ辺 それは今回の作品に出てくるお話ですか。
HIKARI インスパイアはされていますけど、直接には出てきていません。ストーリーはオリジナルにしたかったので。そこで聞いたお話に、こういうのがありました。ある男性が、もうすぐ亡くなるという時に、喧嘩別れかなにかで音信不通になってしまった娘にどうしても謝りたいと。それで女性を雇ってその人を娘として会わせた。男性は、その女性に謝って息を引き取られたんだそうです。それは言ってみれば全てが嘘というか架空ですよね。でもそれで男性が救われたというのならそれでいいじゃないかとすごく思ったんですよ。「謝りたい」という気持ちには嘘はないと思うし、そこで人間としてのステップを踏んでいるのなら、そこに誰かが関わってサポートするというのは、素晴らしじゃないか、このビジネスはと思ったところから、この映画は始まりました。
池ノ辺 それって日本にしかないんですか? アメリカには?
HIKARI ないです。「レンタル・ファミリー」っていうビジネスはないけれど、レンタル彼女のような「エスコート」や、家族のいない老人のそばで、その方が息を引き取るのを看取るというボランティアのシステムはあるみたいです。
池ノ辺 ボランティアと仕事とはかなり違いますよね。
HIKARI 違いますね。仕事は時給いくらでお金をもらって演じているわけですからね。ただ、いろいろ話を聞いていると、その仕事に役者として関わっている方たちの中で仲間ができて、コミュニティができて、その仲間の中でお父さんお母さん、娘息子、兄弟と、そんな仮の家族ができて、その家族でご飯を食べにいったり、そういうつながりが生まれるというのはあるみたいです。
池ノ辺 疑似家族ができるわけですね。そういうつながりって、場合によっては血のつながりより強かったりしますよね。
HIKARI そうそう、そうなんです。血がつながってなくてもいいんですよ。与えられた血のつながりによる家族はもちろんあるし、それを大切にするということももちろん大事だけれど、自分たちが作った仮の関係であったとしても、そこに友としてでも、愛情が存在しているのなら、それはもうファミリーでいいと思う。実際ね、映画を作る現場ではみんな家族になりますから。
B
