
監督業60年を超える名匠・山田洋次監督は、数多の作品で戦後日本を丁寧に描いてきた。彼が近年、吉永小百合を主演に親子の情を描いた映画「母と暮せば」(2015年)と「こんにちは、母さん」(2023年)の2作が、この3月1日(日)と8日(日)にそれぞれJテレの日曜映画劇場(夜9:00)枠で放送される。時代設定もトーンも異なるが、二宮和也、大泉洋という俳優2人と吉永の芝居が、忙しい日々だと忘れかけてしまう家族との情を、思い出させてくれる。
■二宮の人懐っこさに癒やされる「母と暮せば」
「母と暮せば」はいきなり悲劇から始まる。二宮和也が演じる医学生・福原浩二は1945年8月9日、長崎の原爆投下で命を落とした。だが3年後、母の伸子(吉永小百合)の前に、ひょっこり舞い戻る。既にアイドルとしてだけでなく映画「硫黄島からの手紙」(2006年)などで、俳優として評価されてきた二宮だが、本作では彼生来の人懐っこさに癒やされる。二宮の浩二は生前と変わらぬ学生服姿で、長崎弁で「諦めが悪かね、母さんは」と軽口をたたきながら母のもとに帰ってきた。
原爆に戦争、戦後の混乱と絶えず「死」がつきまとう中で、二宮の愛らしさと吉永の優美さがいっそう光って見える。特に二宮を起用したことで、悲劇性と愛嬌(あいきょう)のバランスが絶妙なのだ。
すでに30代の二宮が、吉永の伸子の前ではすっかり子どもの表情とやりとりになり、彼が好きなメンデルスゾーンの音楽のことを語ったり、「寝小便」の思い出を伸子から言われて赤面したりするやりとりは、戦後の苦闘する日本が舞台であることを忘れそうになる。二宮を一瞬で少年にしてしまう、吉永の静かな“母性”も注目に値する。

そして、戦争を生き残ってしまった後悔を抱える浩二の恋人・町子を演じた黒木華の存在感も光る。戦後の長崎で、過去の傷を抱えながらも前を向いて生きようとする強さを、丁寧な芝居で表現している。浩二と町子のことを思って彼女が新しい一歩を踏み出す相手として登場する黒田正圀役の浅野忠信も、戦争の傷跡を背負った不器用な男を好演しており、現世を生きる彼らの生々しい実存感が、浩二にまとわりつく「存在の異質さ」をより一層際立たせている。

町子や正圀、また他の長崎の人々も戦争や苦しい生活にままならぬ気持ちを抱えたまま生きている。山田監督はそうした生者の姿を、穏やかな長崎の雨や夜をバックに描いている。その一方で、浩二はよくしゃべるし、「寡黙な昭和の男性」のイメージからは離れている。
かわいい息子のまま伸子の記憶の中にとどまっている姿、そこにアイドルとして「愛されるプロ」でもある二宮のパーソナリティーがマッチした。もちろん、理不尽な災厄・愛する存在との突然の別れ、そこからいかに人が立ち直るかという普遍的な主題も描いており、現代でもしっかり人の心を打つ作品でもある。例えば当時11歳の本田望結が町子の教え子の風見民子役で出演しているが、戦死した父の死亡通告を復員局で受け取る芝居もけなげだ。
本作の演技で、二宮は「第39回日本アカデミー賞」最優秀主演男優賞、吉永は優秀主演女優賞を受賞した。当時の、あるいは今も苦難から立ち直ろうとする人々の苦楽をたっぷりと描いた名作だ。

■大泉の軽妙なせりふ回しを堪能

「こんにちは、母さん」は、現代の東京が舞台。大泉洋が演じる大企業の人事部長・神崎昭夫は、現実の垢にまみれた息子である。職場では社員の人員整理を担う責任に悩み、家庭では妻の知美との別居や娘・舞(永野芽郁)との不仲に悩む、典型的な“疲れた中年男性”だ。彼が下町で足袋屋を営む母・福江(吉永)を久しぶりに訪ねるところから彼らの人生が動き出す。
タレントとして大活躍の大泉なだけあって、軽妙なせりふ回しを聞いているだけで気持ちがいい。福江に「歳とってエビの佃煮みたいに、背中丸めて独りわびしく暮らしてちゃだめだよ」と自然に軽口をたたけるシーンでの、ひょうひょうとした空気感は大泉ならでは。彼が母に対して放つ「そのうち俺も(妻に)捨てられんじゃねえか、断捨離で」といった言葉遊びの数々は、コメディーめいた雰囲気も本作に与える。

それでも昭夫には仕事や家庭での重荷がのしかかり、独り自宅で「うそばっかついてる」とぼやく。この、働く壮年男性の悲哀をそこにいるだけで自然に出せてしまうのも大泉の魅力だろう。何日も帰ってこない娘を福江の家でやっと見つけて、舞を叱責するときの芝居もどことなくコミカルさが抜けない。大泉の感情配分のバランスが巧みなワンシーンだ。
そんな息子にいつも穏やかに接しているのが吉永の福江で、下町の和風の家で暮らしていることも相まって、この実家が俗世に疲れた都会人のつかの間の逃げ場、という印象もある。
ところが、その福江が一緒にホームレス援助の活動をしている牧師の萩生(寺尾聰)に好意を抱いていると舞から聞かされ、それがまたも昭夫を悩ませる。しかし萩生が北海道に赴くことになり、福江はまさかの失恋。車で東京を離れる萩生を見送る際に吉永の福江がちょっぴり見せる本心、そしてその後「やけ酒」をあおってしまうところは、品のいい老婦人な福江の、乙女心がちょっとのぞいたようでかわいさすらにじむ。

ホームコメディーであり、きちんと社会を風刺した社会派ドラマでもあり…と本作を多面的に楽しめるのは、大泉と吉永の地に足ついた芝居心ゆえだろう。そして脇役たちも頼もしい。最初は父親に対してすねていたが素直になっていく永野演じる舞はキュートだし、会社の人員整理に抗う昭夫の親友・木部富幸役の宮藤官九郎のコミカルな演技にもクスッとさせられる。
萩生役の寺尾は品のある牧師像を印象づけたし、ただ者ではなさそうなホームレス・イノさん役の田中泯、福江の隣人たちなど、皆が下町に暮らすいい人に描かれていて、作品に深みと笑いを与えている。

やはり、全く時代の違う母親の役で、二宮と大泉を相手にそれぞれに異なる母の顔を見せた吉永の俳優としての力も不可欠だ。二宮の浩二は青年になっても母に甘える息子の顔になり、大泉の昭夫は「やっぱり、カアチャンにはかなわねえよ」と背中で語っているようにも見える。
「山田洋次×吉永小百合」という重厚な響きに“親世代が懐かしむ映画”と、若者は少し身構えるかもしれないが、若者にも刺さる部分が多い。母親と息子、両方の立場で共感でき、見終わった後、つい「母さんに連絡してみようかな」と思いたくなる。そんな温かな余韻をくれる作品たちだ。
◆文=大宮高史

