1991年から1994年まで放送され、数々のフォロワーを生み出した深夜ラジオ番組『電気グルーヴのオールナイトニッポン』(電気ANN)。その放送作家を担当した椎名基樹による回想録『オールナイトロング』が刊行された。
地元・静岡時代の石野卓球、ピエール瀧との出会いから、「電気ANN」の現場、そして90年代サブカルの熱気まで、「デタラメなコラージュでもカッコよければアリ」だった時代に、何が生まれ、何が残ったのか、本人に話を聞いた。
石野卓球の“ただ者じゃなさ”は10代から際立っていた
──静岡のご出身で、中学・高校では石野卓球さんの一年後輩にあたるそうですね。椎名さんご自身も、当時は音楽活動をされていたんですか?
椎名基樹(以下同) はい、本には書いてないですが、正露丸Xというバンドですね。曲は、ベースラインが「ズンドコ節」で、ひたすらウ●コウ●コと連呼するという内容でした(笑)。
「サーカスタウン」っていう、人生(電気グルーヴの前身バンド)もよく出ていたライブハウスがあって、そこに出演したんです。すると、石野さんから呼び出されて、それがファーストコンタクトですね。
──当時からすでに、後の「石野卓球」に繋がるカリスマ性は感じていましたか。
そうですね。石野さんは10代からスゴい音楽マニアでしたし、なにより常識にとらわれていないんです。細かい話ですけど、漢字の「口(くち)」っていう字があるじゃないですか? 石野さんは書き順を無視して、単なる◯(まる)を書いて「口」とするんですよ。それと、人生のメンバーだった圭三を「K3」と表記したり。そんな小さなところも新鮮に感じました。他にもオリジナルのステッカーを機材に貼りまくっていたり。パンク~ヒップホップ的なセンスにあふれてましたね。
石野さんと、高校球児だった瀧さんを結びつけたのが、校内で有名なワルだったイトチューです。離れのような石野さんの部屋にみんなで集まって、いろんな音楽やマンガ、サブカルチャーを共有していました。
──本に書かれた学生時代のエピソードは、どれも青春っぽくてよかったです。夏休みにみんなで酒を呑んで、急性アルコール中毒になって、看護師だった瀧さんのお母さんに介抱されるくだりとか。
10代のころの石野さんのお話は、もう少し書いても良かったんですけど……ちょっと、清潔感のないエピソードが多いので(笑)。
──人生から電気グルーヴへ、さらにメジャーデビューという流れは、トントン拍子に進んだのでしょうか?
人生の後期はかなり悩んでたと思います。「イカ天に出るかどうか」みたいな話もありました。煮詰まっていた人生を解散して、電気グルーヴになってからは、勢いがありましたね。自分はその活躍をただただ「スゲエ!」と思って見てました。
当時の音楽シーンも、ちょうどその頃は大きく盛り上がってました。ヒップホップやダンスミュージックといった新しい音楽が次々に生まれていた時代で、音楽理論がなくても、デタラメなコラージュでも、カッコよければアリなんだという価値観が芽生えていったんです。
見習い放送作家として飛び込んだ「電気ANN」の熱量
──そんな中、「電気グルーヴのオールナイトニッポン」がメジャーデビュー直後の1991年からスタートします。当時のラジオは、今よりも特別な存在だったと思うのですが。
やっぱり僕らの世代は、「ビートたけしのオールナイトニッポン」の影響がスゴかったですから。「たけしのラジオを聞いてるか、聞いてないか」で人を二分してました(笑)。近年、オールナイトニッポンはまた盛り上がっていると聞きますが、当時はまさにラジオが花形でしたね。
──椎名さんはその「電気ANN」に、見習い放送作家として参加する訳ですが、その頃のラジオ業界の厳しい縦社会ぶり、閉塞感についても、この本では書かれていますね。
ええ、大変でした。ただ、ある程度“ヤンキー魂”が必要な世界なのかなと思います。そもそも、自分も単なる小僧だったし、わがままだったと思います。
今はニッポン放送も、かなり雰囲気が変わっているみたいで。数年前のオールナイトニッポン55周年企画で「電気ANN」が一夜だけ復活したときに、すごく現場の雰囲気作りに気を配ってる女性のスタッフがいて「誰だろう?」と思ったら、それがニッポン放送の現社長である、檜原麻希さんだったということがあります(笑)。
──「電気ANN」で、とくに記憶に残っている回はありますか。
具体的な企画じゃないんですけど、石野さんと瀧さんの会話が、とにかくどんどんヒートアップした回があったんです。ものすごく面白くて、内臓がちぎれそうになるくらい笑って、CMに入ってもその場にいる全員が笑い続けて……そういう、すごく会話が盛り上がった瞬間があったのを覚えてます。
「すごく笑った」っていう感触だけで、トークの内容はまったく覚えてないんですけど。何を話していたんだろう? たぶん、誰かの悪口なんですけど(笑)。
──「ボケとツッコミ」のような役割のない、電気の笑いのセンスは独特ですよね。
それは彼らもよく言ってますよね、互いの話にツッコまないんだと。お笑い芸人だと、ある程度「型」ができていくけど、彼らにはそれがなかったんですよね。
──90年代のカルチャーの熱気について、本の中で繰り返し書かれているのも、印象的でした。あの時代に憧れる若い世代も多いですよね。
自分たちの世代は自分たちの世代で、ウッドストックとか、60年代に憧れていたので、過去に憧れを持つのは、普遍的なことなのかもしれません。
ですが、それでも90年代はやっぱり面白かったなあと思います。「WIRE」をはじめ、テクノのパーティーも盛んだったし、カルチャーシーン全体が熱かったと思います。今のような企業主導ではない、現場で作られる本物の熱気でした。それを支えていたのは、ある種の“いい加減さ”だったと思います。コンプラ的なものも、今と比べてユルい時代でしたから。

