2010年代…SNSとマッチングアプリの時代
2010年、結婚における恋愛結婚の比率は、87・9%まで上昇した。スマートフォンの登場、それに伴うSNSとマッチングアプリの普及に伴い、パートナーを見つけるためのコストは大幅に低下した。インプレッションやフォロワー数などで「モテ」の度合いが数字で可視化されるようになったことも大きな変化だろう。
出会いの流動性が高まる中で、非モテから脱却するために、科学的なアプローチで恋愛を捉え、女性とより良い恋愛関係を築けるようになることを目指す「恋愛工学」が流行した。えげつないテクニックの数々が様々な賛否を巻き起こしながらも、一定の男性たちから熱い支持を集めた。
その一方で、若者の恋愛離れが語られるようになる。若者の恋愛離れについては、それまでの時代でも度々語られてきたが、2010年代以降の特徴を端的に表すとするならば、「恋愛至上主義離れ」である。すなわち、恋愛の優先順位の低下だ。
かつての恋愛は、簡単にできるものではなかった。相手も簡単に見つかるものではなかった。それゆえに価値がある、と考えられてきたが、テクノロジーの発展によって、その気になれば、誰でも・いつでも・どこでも、自分にあった相手を見つけられるようになった。
そうなれば、恋愛の価値は相対的に低下する。勉強や趣味、仕事や家族と過ごす時間などの日常的な活動が恋愛に優先するようになっていき、恋愛は「後回し」にされる対象になった。若者が恋愛に求めるものは「激しい情熱的な関係」から「穏やかで安定的な関係」へと変化していった。こうした変化の中で「至上の恋愛」から「無理のない恋愛」へという流れも強まっていった。
1970年代の若者たちにとって、「命がけのもの」「至上のもの」であった恋愛の価値は、約半世紀後の若者たちにとっては、せいぜい「あればあったで良いもの」程度に目減りしている。恋愛は人生におけるデフォルトではなくなり、実行するかどうかの時点から自分で選択するオプションのような存在になっていると言える。
2020年代…推しと課金の時代
自分の「推し」(他人にすすめたいほど気に入っているアイドル、俳優、アニメキャラ、スポーツ選手、動物など)を応援する活動を指す「推し活」は、2010年代からSNSの普及に伴って広まっていったが、2020年代に入り「推し文化」として社会的に根付くことになる。世代を超えて、ライブやイベントへの参加、グッズ購入、SNSでの情報発信や交流、聖地巡礼など、様々な方法で「推し」に対して応援・課金することが一般化する。
一見すると、「推し」は恋愛に近い行為に思えるが、実際は似て非なるものである。「推し」は偶像崇拝に近い、一方通行の好意である。現実にデートできる相手や、LINEをやり取りできるような相手は、「推し」の対象にはなり得ない。
推す側と推される側の間には、相互的なコミュニケーションがないのだ。ある意味で型にはまった関係性であり、関係性を維持する手段も「課金」というシンプルかつ明瞭な方法なので、現実の恋愛や結婚に比べれば、圧倒的にコスパが良い。言うなれば、恋愛や結婚の美味しいところだけを課金して味わえるようなものだ。
こうした推し文化が広まる中で、恋愛や結婚の立ち位置はどんどん危うくなっていく。恋愛関係は、友人関係や家族関係とはまた異なる関係性であり、それを形成し維持するためには、独特の知識や作法、そして弛まぬ努力や気遣いが求められる。推し活とは異なり、「せっかくだからやっておこう」程度の意識で参入しても、その果実を十分に味わうことは難しい。
恋愛をする力は、語学力やスポーツと同じような特殊技能であり、実際に生身の相手と経験を積むという方法でしか会得できない。1980年代に隆盛を誇ったデート情報誌や若者向けファッション誌で紹介されていた知識やマニュアル、2010年代に話題になった恋愛工学のようなノウハウを学んだうえで、実際にパートナーを見つけて、関係性を育んでいく努力が必要になる。
また恋愛や結婚は、近年の社会の中では珍しく「男性らしく振る舞うこと」「女性らしく振る舞うこと」が求められる場でもある。日常的に男性らしく振る舞うこと、女性らしく振る舞うことが求められていない社会の中では、「男性らしく」「女性らしく」振る舞うことは、意外と難しい。
かつて恋愛や結婚でしか得られなかった体験の多くが推し活などの他の手段で代替できるようになった今、コスパやタイパの観点から考えれば、わざわざ恋愛や結婚にコミットする必要性は乏しい。
文/坂爪真吾

