
「DNAは嘘をつかない」
そう言われると、私たちは思わずうなずいてしまいます。
DNAはその人の“設計図”であり、親子関係を確実に証明できる絶対的な証拠だと信じられてきたからです。
しかし、もし「あなたはその子の母親ではない」とDNA検査で告げられたらどうでしょうか。しかも、その子を実際に妊娠し、出産したにもかかわらずです。
これは空想の話ではありません。アメリカで実際に起きた出来事です。
そしてその背景には「キメラ現象」と称される、あまり知られていない生物学的な仕組みがありました。
目次
- DNA検査で「母親ではない」と告げられた女性
- 母子でDNAが異なる「キメラ現象」とは何か
- DNAは「万能な証拠」ではない
DNA検査で「母親ではない」と告げられた女性
アメリカ在住の女性、リディア・フェアチャイルドさん(当時26歳)は、2人の子どもを育てるため福祉支援を申請しました。
手続きの一環として、親子関係を確認するDNA検査を受けることになります。
結果は衝撃的でした。
DNA検査では、彼女は「子どもたちの母親ではない」と判定されたのです。
当然、彼女は否定しました。自分が妊娠し、出産したことは明らかだったからです。
母親や子どもたちの父親、さらには担当の産科医も、彼女が出産した事実を証言しました。
しかし、DNA鑑定の結果は変わりませんでした。
当局は、彼女が福祉制度をだまそうとしている可能性まで疑いました。
「DNAは100%間違いがない」と言われ、彼女は法廷に立つことになります。
その一方で、当時のリディアさんは第3子を妊娠しているタイミングでした。
裁判所は、出産直後に母子双方のDNA検査を実施するよう命じます。これなら、疑いは晴れるはずでした。
ところが、生まれたばかりの赤ちゃんとのDNAもまたもや一致しなかったのです。
自分の子宮から出てきたばかりの子どもと、遺伝的につながっていないという結果。常識では説明できない事態でした。
しかしその後、驚くべきことに、別の部位の細胞を詳しく調べた結果、彼女の体の一部には子どもたちと一致するDNAが存在することが判明します。
最終的に、彼女は子どもたちの実母であると認められました。
では、なぜこんなことが起きたのでしょうか。
母子でDNAが異なる「キメラ現象」とは何か
この不可解な出来事の背景にあったのが「キメラ現象(キメリズム)」です。
キメラとは、1人の体の中に2種類以上のDNAセットが存在する状態を指します。
通常、人間は1つの受精卵から発生するため、体中の細胞は基本的に同じDNAを持っています。そのため、血液を採取すれば、その人全体のDNAを代表していると考えられてきました。
しかし、まれに例外が起こります。
最もよく知られている仕組みは、二卵性双生児の受精卵が初期段階で融合してしまうケースです。
本来は別々に生まれるはずだった2つの受精卵が一つにまとまり、1人の人間として発育します。
その結果、その人の体には「自分」と「本来生まれるはずだった双子」の2種類のDNAが混ざって存在することになります。
これがキメラです。
多くの場合、本人も周囲も気づきません。見た目は普通で、日常生活に支障もありません。
しかし、体の部位によって異なるDNAが存在するため、DNA検査の結果が食い違うことがあります。
リディアさんの場合、血液のDNAは子どもと一致しませんでした。
しかし子宮頸部の細胞からは、子どもたちと一致するDNAが見つかりました。
つまり、彼女の卵子を作った細胞は、もう一つのDNAセット由来だったと考えられます。
これは「生殖系列キメラ」と呼ばれる状態です。卵子や精子を作る細胞に、別のDNAが含まれているタイプのキメラです。
同様の現象は父親側でも起こりえます。
実際、ある男性が父子鑑定で「父親ではない」と判定されましたが、詳しく調べると彼の精子の一部に消えた双子由来のDNAが含まれていたという例も報告されています。
つまり、「DNAが一致しない=血縁関係がない」とは限らないのです。

