FA短縮、球団数の拡大、保留制度の見直し――。日本プロ野球の将来を左右しかねないテーマについて、日本プロ野球選手会の新会長に就任した近藤健介が率直な思いを語った。さらにSNS誹謗中傷対策やWBC出場時の補償問題にも言及。「未来の選手のために環境を良くしたい」と語る新会長の言葉から、球界が大きな転換点に差しかかっていることが見えてきた。
新会長には2年前から打診があった
労組日本プロ野球選手会第10代の会長であった會澤翼は、自身の任期をまだ1年以上残していた段階から、「自分の後任についてにはすでに腹案があります」と語っていた。人選に自信ありげな様子が見てとれたので、果たして誰であるか、あれやこれや推測していた。
2026年12月、第11代会長の発表がなされた。會澤の意中の人物は近藤健介(32)であった。軟式野球出身の近藤は一般入試で野球エリート揃いの名門横浜高校に入学、いわゆる叩き上げでプロに入って結果を出し続けて若手の模範となり、その人望の厚さは知られたところであった。
日本ハム時代からチームの選手会をけん引しており、類まれなリーダーシップに會澤が期待していたのは、想像するに難くない。
現在、選手会とNPB(日本プロ野球機構)の間では、保留制度にともなうFA権取得年数の短縮、1軍球団数の拡大などが話し合われており、これらの課題は球界に大きな変革をもたらすものが多い。
日本代表の主力として期待のかかるWBCを控えた今年、その任を引き受けた理由と抱負を聞いた。
――會澤前会長からの信頼が厚く、かなり前から、就任を打診されたと思うのですが、快諾された理由は何だったのでしょうか。
近藤健介(以下、同) 選手会のミーティングに携わってきた中で、會澤さんからは、実は2年前ぐらいから、(次を任せたいと)言われていましたし、自分でもやるんだろうなというのは意識していました。
だからきっかけとかというのは特になくて、課題に取り組んできた會澤さんの思いを引き継ぎながらという感じですね。
――會澤前会長も引継ぎをしっかりとやりたいと言っていました。そして将来的には何とか会長職は有償のかたちにしたいと言っていましたが、今回は相変わらず、無償奉仕ですね。
はい、そうなります。
――それでも現役の最盛期に自分の時間を割いてでも会長をやっていこうと決意したのはなぜでしょうか。
やはり先代の方たちの頑張りを見たり聞いたりしてきたからです。歴史的な大きな出来事で言えば、FA権の獲得もそうですし、選手会の功績で2リーグ12球団制も維持されています。
僕はFAでファイターズから、ホークスに移籍しましたから、そのシステムを利用させてもらった者として、今度は未来の選手たちに向けて恩返しをしたいです。どこまでできるかわかりませんが、僕が会長のあいだにより良いプロ野球界をこれから入ってくる若い子たちに提供したい。そういうところは意識しています。
成績を残して活躍することで、発言力や影響力、説得力も増すので選手会をモチベーションに変えている部分はありますね。
選手会長はなぜキャッチャーが多い?
――今言われた12球団の維持については、選手会の行ったストライキが実際に大きな歯止めになりました。ストで阻止したことで、現在の交流戦やパ・リーグの隆盛と繁栄がある。あのまま1リーグ8球団で巨人戦の放映権ビジネスに寄り掛かっていたら、野球人気はどんどん落ちていった。2004年のストのときの記憶はありますか。
当時、自分は小学生でしたけど、覚えていますね。でも選手会の存在というのは、まだ子どもだったのでよく知らなくて、プロ野球界に入った当初も分かっていなかったんです。選手会の役員となって会議に参加する中で、あらためてこういう事だったのかと理解しました。
球界再編のときのストライキは、日本球界の歴史的に見ても一番の大きな出来事だったんじゃないかと思います。古田さんをはじめ、本当に大変なことをやられたんだと感じました。
――その経緯が似ているのですが、入団会見時のヤンキースタイルから「総長」と宮本慎也(第6代目選手会会長)さんに呼ばれている會澤前会長もプロになってから選手会や労働組合の在り方を初めて知ったということでした。そこから12球団の仲間、未来の選手のために頑張ろうと決意したと。つまりまったく知識がなかったところから、選手会組織の重要さに気がついて自分の時間を削って無償で動き始めた。そういう行動に立ち向かったプロセスについて教えていただけますか。
それは出会いというか。何も知らない中で実際に選手会の会議に出てみると、本当に現役の選手たちが、自分には何の見返りも無いのに球界をより良くしたいというその気持ちから動いているのを見て、ああ、こういう事で自分のたちの権利の今があるんだと思うんです。
こうして良くなってきたんだ。だったら、自分も未来のために「やらないとな」という気持ちになって行ったんです。
――日本ハム時代から選手会の仕事もされていましたね。
そうですね。会長になる前からも会議には出ていましたけど、選手としてより年数を重ねて参加にするにあたって、これは絶対に誰かがやんないといけない仕事で、だったら自分がやろうと。
――ファイターズに入団したときのチームの選手会会長は誰だったのでしょう。
田中賢介さんですね。賢介さんも鶴さん(鶴岡慎也)もそうですし、大野奨太さん、中島卓也さんもやられていました。そういう姿を見て自分も頑張らないとと思ったわけです。
――古田、嶋、炭谷、會澤…歴代の会長はキャッチャーが多いんですよ。近藤さん自身は今、外野手登録だと思うんですが、入団時は捕手で、これで4代続いたわけです。
ポジションとして全体を見るし、責任感や人のためにというところは、その性格上あるんじゃないですかね。

