
古代ギリシャの世界には「未来を知りたい」と願う人々が向かった場所があります。
それがギリシャ南部にある聖地デルポイです。
ここには神アポロンの神殿があり、巫女が神から授かった言葉を伝える「デルポイの神託」が行われていました。
王や将軍、都市国家の指導者たちが重大な決断を下す前に助言を求めたことでも知られ、古代世界でもっとも有名な神託の場でした。
しかし、この神秘的な予言には長い間、ある疑問が付きまとっていました。
ズバリ、巫女はどのようにしてトランス状態に入り、神の言葉を語ったのでしょうか。
古代の記録には「甘い香りのガスを吸い込んでいた」ことが書かれています。
そして近年の地質学と考古学の研究は、この奇妙な記述が単なる神話ではなく、実際の自然現象に基づいていた可能性を示しています。
もしそうだとすれば、古代ギリシャで最も神秘的な儀式は、実は「地下から湧き出るガス」によって生み出されていたのかもしれません。
目次
- 神アポロンの声を語る巫女「ピュティア」
- 長い間「伝説」とされていた地下ガス
- 巫女が吸っていたのは、どんなガス?
神アポロンの声を語る巫女「ピュティア」

デルポイの神託は、古代ギリシャ世界で最も権威のある宗教的儀式の一つでした。
神殿には「ピュティア」と呼ばれる巫女が座り、神アポロンの意志を人々に伝える役割を担っていました。
デルポイを訪れる人々は、単なる好奇心からではなく、人生や国家の重大な決断を前にして助言を求めていました。
個人の財産問題から戦争の是非まで、あらゆる相談が持ち込まれたといいます。
興味深いのは、古代人自身もピュティアを霊能力者だとは考えていなかったことです。
1〜2世紀の有名な著述家プルタルコスはデルポイの神官でもあり、神託の様子を記録しています。
彼によれば、巫女は「地中から湧き上がる力」を受け取る存在でした。
つまり、予言の力は巫女自身ではなく、大地そのものから来ると考えられていたのです。
プルタルコスの記述では、神殿の下には泉があり、岩の割れ目から「プネウマ」と呼ばれる甘い香りのガスが立ち上っていました。
巫女は三脚の椅子に座り、このガスを吸い込むことでトランス状態に入り、神の言葉を語ったとされています。
その様子はかなり激しいもので、叫び声を上げたり、興奮したり、時には倒れてしまうこともあったと記録されています。
長い間「伝説」とされていた地下ガス
しかし近代の研究者たちは、長い間この記述を信じていませんでした。
1892年から1950年にかけて行われたデルポイの大規模発掘では、ガスの発生源とされる巨大な岩の裂け目が見つからなかったからです。
当時の地質学では、地下ガスが地表に出るのは火山地域に限られると考えられていました。
デルポイ周辺には火山が存在しません。
そのため、古代の記録は誇張や伝聞に過ぎないと見なされてしまったのです。

ところが1980年代、状況が大きく変わります。
地質学者の調査により、デルポイの神殿の真下を断層が通っていることが判明したのです。
断層とは、地球のテクトニックプレートがぶつかり合う場所です。
こうした場所では摩擦によって地質活動が起こり、ガスが発生することがあります。
この発見をきっかけに、考古学者の研究チームが調査を開始。すると、デルポイの地下には多孔質の石灰岩が広がっていることが分かりました。
この石はスポンジのように細かな通路を持っており、地下で発生したガスが地表へ上昇する経路になり得ます。
つまり古代の記録にある「大地からのガス」は、実際に存在した可能性が出てきたのです。

