2006年WBC韓国戦。ロッテの若き三塁手・今江敏晃は、痛恨の落球で決勝点につながるミスを犯した。日本中が注目する舞台で味わった絶望――。その彼を救ったのは、福留孝介が放った起死回生のホームランだった。初代世界一の裏側で起きていた、知られざるドラマを本人が語る。
「日の丸を背負うとか、そんな余裕はなかったです」
2005年。この年は今江敏晃のキャリアにとって分岐点となった。
ロッテで初めてレギュラーを掴んだ4年目の22歳は、レギュラーシーズンで3割1分と高打率を残した。若者の勢いは阪神との日本シリーズでも加速し、初戦の第1打席から8打席連続安打、シリーズを通して4試合で10安打、6割6分7厘。新記録をことごとく打ち立て文句なしのMVPを手にした。
十分すぎる結果は、今江に確信的な野心を植え付けさせた。ロッテでの盤石な立ち位置の構築に意欲を燃やしていたこともあり、シーズン中からこの翌年にWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)という新たな世界大会が開催されることはわかっていたが、他人事の行事だと捉えていた。
「実績という面では1年しかなかったんで。ロッテで『これから』っていう時でしたし、何年も結果を残しているすごい方たちがいっぱいいたんで、WBCに出られるなんて思ってなかったです。代表に選ばれても『僕なんかでいいのかな?』って感じでしたね」
野球の真の世界一を決める大会。そう銘打たれたWBCの日本代表は、誰もが認める実力者たちが集結した。
メジャーリーグで5年連続200安打と、トップクラスの実力を誇示するイチロー。25歳ながら日本のエースと呼ばれる松坂大輔。そんな俊秀ばかりの代表において、今江は控えだった。
開幕ゲームとなる第1ラウンド初戦の中国戦で途中出場し、初打席でセンター前へ2点タイムリーと快音を響かせたが、このラウンドではほとんど出番がなかった。
今江の主戦場であるサードは、ヤクルトの岩村明憲がスタメンを張っていた。ロッテではレベルアップのために自分を最優先するが、代表で「僕なんか」と謙遜したのは、メンバーへのリスペクトが第一にあったからだ。
「『日の丸を背負う』とか、僕にはまだそんな余裕はなかったですね。それよりも、イチローさんとかすごい方たちがいるなかで、『自分もこのチームの一員として戦える』っていう高揚感のほうが勝っていたというか。『みなさんに迷惑をかけないように』っていう、最初は本当にそういう感覚でした」
第1ラウンドで韓国に敗れながらも、2勝1敗で次のステージへと進出を決めた日本にとって潮目となったのが、第2ラウンド初戦となるアメリカ戦である。
3-3の同点で迎えた8回。1死満塁から岩村のレフトフライで三塁ランナーの西岡剛がタッチアップして生還。勝ち越しとなるはずだった。ところが、西岡の離塁が「早かった」と判断され得点が取り消されたのである。
「ベンチみんなが『それはないやろ!』って。野球の母国でアメリカと対戦するわけですから、チームに動揺はあったと思います」
「人生……終わった」
激動の一戦は9回裏にサヨナラで敗れた。奇しくもこの敗戦、あのジャッジが日本国内でWBCの認知度を高める契機となる。
「なんか、日本ですごいことになってる」
その声は、アメリカで戦う選手たちの耳にも届いた。WBC開幕当初こそ控えめだった今江にも、少しずつ「日の丸」という精神が染み渡るようになっていくのだった。
国を背負う。責任は緊張を生む。それは時にプラスにもマイナスにも働く。今江にとっては、後者となってしまった。
第2ラウンド2戦目でメキシコに勝利し1勝1敗で迎えた、韓国との3戦目。今江の出番は突如として訪れる。2回に岩村が走塁で右足の太ももを肉離れしてしまい、3回からサードを守ることとなったのだ。
「序盤のアクシデントだったじゃないですか。しかも、宮本(慎也)さんと新井(貴浩)もサードを守れたんで『あれ、自分が出るんだ』って。ちょっとあたふたしたというか」
そんな今江に魔が差したのが8回だ。
1死一塁。相手バッターの打球が外野に抜け、一塁ランナーが二塁ベースを蹴る。センター・金城龍彦の送球が理想的なワンバウンドで今江にボールが届いたが、両手で捕球したことでヘッドスライディングを敢行した相手と衝突し、落球してしまったのである。
いつもなら、あり得ないプレーだった――そう今も今江の琴線を揺さぶる。
「完全にアウトのタイミングで、しっかりと捕球して『タッチをしっかりしよう』っていうなかで、大事にプレーしすぎたっていうか。まだまだ経験の浅さがあったというか……最悪の場面で出てしまったプレーでした」
このミスで二、三塁とピンチが拡大した。そして、次のバッターに決勝点となる2点タイムリーツーベースを許し、日本は敗れた。
「人生……終わった」
景色のすべてが灰色だった。歓喜に沸く韓国がマウンド上に国旗を立て、ベンチからそれを睨みつけていたイチローが怒声を吐き捨てたシーンもあったと後から知った。ロッカーでの記憶もなく、宿舎で食事を摂ったかも認識できないほど記憶が飛んでいた。

