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夏はトライアスロン、冬はノルディックスキー。鉄人・佐藤圭一が追い求めるマルチな強さ

夏はトライアスロン、冬はノルディックスキー。鉄人・佐藤圭一が追い求めるマルチな強さ

夏冬を合わせると6度目、冬季5度目のパラリンピック出場となった佐藤圭一。冬はパラバイアスロンパラクロスカントリー、夏はパラトライアスロンに挑むバイタリティーにあふれる“鉄人パラアスリート”は、ミラノ・コルティナ2026パラリンピック冬季競技大会でも、たくましい存在感を大いにアピールしている。

ミスを冷静に分析

ミラノから直線距離で200㎞ほどのところにある街テーゼロ。快晴の空の下、佐藤は今大会、現地3月7日と8日、パラバイアスロンの男子7.5kmスプリント(立位)と男子12.5kmインディビジュアル(立位)に出場した。

現地3月8日の佐藤圭一

現地3月7日に行われた7.5kmスプリントでは、射撃のミスが響き、結果はまさかの18位。スプリントでは、射撃で外した回数に応じてペナルティループ(1周150m)と呼ばれるコースを走るが、佐藤はこの日、1回目に2発、2回目に2発を外したため計4周、600mを余分に走った。それでも、取材エリアにやってきた佐藤は冷静にレースを振り返っていた。

翌日は、射撃で外した回数に応じて1分の計算タイムが加算される12.5kmインディビジュアル。佐藤は合計10発(10分の加算)を外し、18位だった。

スプリント終了後、第一声で「超厳しい戦いになりました」といった佐藤。

それでも、外連味のない口調でこのように続けた。

「自分の体の状態があまり良くなかった。準備はしてきたものの、キレがなかった。体があまり動かなかった。そこが良くなかったと思います」

まずは自身にフォーカスする姿勢。これは、過去に幾度も困難を打ち破ってきた46歳のベテランらしい分析だ。

仕事を辞めてアスリートの道へ

1979年、愛知県名古屋市生まれ。先天性の障がいにより左手首から先がない。けれども、障がいを理由にスポーツを諦めることはなかった。転機となったのは19歳のとき、1998年の長野大会で躍動する選手たちを目にしたことだ。自分も挑戦したいという思いが芽生えた。

バイアスロンに出場した佐藤圭一

一歩を踏み出した後の情熱は並大抵ではなかった。25歳のときには仕事を辞め、カナダへスキー留学。27歳から本格的に競技を開始し、日本代表への道を切り開いた。

冬季パラリンピックには、2010年のバンクーバー大会、2014年のソチ大会、2018年の平昌大会、2022年の北京大会に出場。また佐藤は、冬季パラリンピックを2度経験した後の2016年に、パラトライアスロンでリオ大会にも出場している。

競技人生で大きな苦境に直面したのは、平昌大会を経てから東京2020大会を目指し、コロナ禍で懸命に鍛錬を重ねていた2020年夏のこと。自転車トレーニング中の事故で鎖骨など複数箇所を骨折し、3度の手術を受けたのだ。

日本代表の佐藤圭一

そこから先は東京2020大会の出場を逃すなど、苦しい時間が長かった。しかし、チャンスを得て出場した北京大会では、パラバイアスロン男子12.5km(立位)で自己ベストの7位入賞を果たした。不屈の精神が佐藤にはあった。

配信元: パラサポWEB

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