2026年9月に結成30周年に突入するモーニング娘。その黄金期を駆け抜けたメンバー・市井紗耶香。追加メンバーとして98年にグループに加入し、その後派生ユニット「プッチモニ。」のセンターに大抜擢され、一躍人気メンバーの仲間入りを果たした。2001年にグループからの卒業を発表した後、一度は芸能界を離れたものの、現在はタレントとして活動を再開している。黄金時代の舞台裏や卒業の理由、そして母としての現在までをじっくりと聞いた。
新メンバー・後藤真希の衝撃
――モーニング娘。の追加メンバーオーディションに応募したきっかけを教えていただけますか。
市井紗耶香(以下、同)DREAMS COME TRUEの吉田美和さんの大ファンだった姉の影響で、小さい時から芸能のお仕事に興味があったんです。歌うことが大好きで、テレビに出るお仕事をしたいな、と思っていたところ、ちょうどASAYANのオーディションを見て、受けてみようと思いました。
実はASAYANのオーディションは3回受けていたんです。朝早くから履歴書を持って、ビックサイトでずらっと並んで。
――まさかの、モーニング娘。合格は3度目の正直だったのですね。
そうなんです。だから、合格したって連絡が来たときは、本当に実感がなかったですね。
オーディションでは最終的に16人くらいが選ばれた中で、そのメンバーとも連絡を取り合っていたんですが、私と他の2人(矢口真里・保田圭)だけ、不合格という連絡がなかったんです。当時、携帯を持っていなかったので、家の電話でずっと連絡を待っていて。
合格を知らされた電話の2日後には3人で事務所によばれて。まだ気持ちが追いついていないまま、カメラが回っている中で当時のマネージャーから、「あなたは明日から芸能人です」と言われて、1週間もたたないうちにジャケット撮影。とんとん拍子にモーニング娘。のメンバーとしての活動が始まりました。
――モーニング娘。に加入後、プッチモニ。やシャッフルユニット・青色セブンではセンターに抜擢されました。
加入から一年は、本当にめまぐるしかったですね。全国47都道府県に行かせていただいたり、『モーニングコップ』という映画にも出させていただいたり。メンバーの福田明日香さんや、石黒彩さんの卒業もありましたね。
新メンバーとして後藤真希さんが入ってきたのが、自分にとって大きな転機になりましたね。
——後藤真希さんが加入されたことは大きな転機となりましたね。
その育成に関わらせていただいたことで、自分自身の成長にもつながりました。
当時はシングル4枚、アルバム、全国ツアー、生放送、雑誌取材など、とてもハードな環境でしたが、プッチモニ。や青色7でセンターを任せていただき、“できることを全力でやっていこう” という気持ちが強く芽生えました。
「うたばん」でのタカさんに感謝
——卒業するきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
モーニング娘。ではやりきったという気持ちがありました。その一方で、青春を味わってみたいという気持ちが芽生えたのも理由のひとつです。
一般の女の子に戻ったらどんな世界が広がっているのだろうという好奇心もありました。
——卒業後はどのように過ごされましたか。
2年間走り続けてきた反動で、何も予定がない日がとても新鮮でした。家でゆっくり眠れたことや、大好きな地元に戻れたことがとても嬉しかったです。
何もない日がこんなにも尊く感じられるのかと思うほど、ささやかな幸せをたくさん味わいました。
——卒業後、2002年に「市井紗耶香 in CUBIC-CROSS」として活動を開始されました。
シャ乱Qのたいせーさんをはじめ、多くの大御所の方々に支えていただき、改めてハロプロの絆の強さを実感しました。
——バンド時代は作詞も担当されていましたが、『失恋LOVEソング』は実体験ですか。
振り返ると実体験ではなかったと思います(笑)。たいせーさんからアドバイスをいただき、候補曲をもとに作詞をしていました。
——芸能界を一度引退され、現在は復帰されています。育児と活動の両立はいかがですか。
両立という言葉は重く感じています。子育てをしながら働くお母さんはたくさんいらっしゃいますし、本当に大変だと思います。
子育てはほどよく息抜きをしながら、仕事は全力で取り組む——それが私のモットーです
――そういえば市井さんは、在籍当時から「母さん」というあだ名がつけられていましたね。
あのあだ名は、うたばんに出演した時にとんねるずの石橋貴明さんがつけてくれたんです。後藤真希さんの教育係をしていたから、「かあさんみたいだね」って。
他にも、かおりん(飯田香織)はジョンソン、圭ちゃん(保田圭)はケメコとか。こうして何年経っても覚えていただけているので、今思うとあだ名をつけていただけることって、とてもありがたいですよね。

