埼玉県川口市と蕨市で起きている、在留外国人、おもにクルド人をめぐる摩擦が注目されている。報道で取り上げられた事例を手がかりに、クルド人とはどのような民族なのか、なぜ昨今、日本に来ているのかを、歴史から整理する。
新刊『新装版 教科書から消えた世界史』より一部抜粋・再構成してお届けする。
引き起こされるトラブルが注目を集めている
この移民の問題は、実際に日本でも高まっています。埼玉県南東部の川口市や蕨市に2000~3000人近く居住していると言われるクルド人が、現地の日本人住民とさまざまなトラブルを起こしていると、昨今ニュースで報じられています。
たとえば、2023年7月4日21時頃から翌7月5日1時頃まで、埼玉県内の病院前で100人近くのクルド人が乱闘騒ぎを起こしました。多数のパトカーと機動隊が出動するなど、病院前が騒然となってしまったのです。この騒動で乱闘騒ぎを起こされた病院が稼働できなくなり、しばらくのあいだ救急搬送が必要な患者を受け入れられない事態が発生してしまいました。そして数名が殺人未遂容疑などで逮捕されました。
また、埼玉県一帯には「クルドカー」と呼ばれる、中東系の人々が運転する車があります。クルド人たちは解体業や産廃業に従事していることが多いのですが、その際トラックに過剰な貨物を詰め込み、今にも崩れそうな状態で危険な運転を行っているというのです。
さらには、ビルを解体する際に十分な安全策を講じず、違法な状態で作業をしているようなのです。解体現場の周辺にはブロックの廃材などが道路に飛び出したり、隣接するビルを傷つけたりしている様子が目撃されています。
そして、SNS上ではクルド人が「川口をクルド人の自治区にする」「日本はクルド人の国になるべきだ」と言っているといった書き込みも見られたりします。
このように悪い意味で注目を集めてしまっているクルド人ですが、彼らはどのような民族で、なぜ日本に移ってきたのでしょうか。ここではそのクルド人について、見ていきましょう。
国を持たない民族「クルド人」はどこからやってきたのか
クルド人は現在、国を持たない民族として世界最大の人口を誇っていると言われます。主な居住地域はイラン・イラク・トルコ・シリアの国境地帯で、人口は3000万人以上とされます。自分たちの国を持つことができず、それぞれの国で少数民族として扱われているのが現状です。そして、一部では迫害や差別を受けることもあるとされます。
クルド人はイラン系の民族で、イスラーム教のスンナ派を信仰し、クルド語を話します。かつてほぼ中東全域はオスマン帝国に支配されていましたが、その統治下でクルド人もそれなりに平穏に暮らしていたと考えられます。オスマン帝国はトルコ人を中心とする多民族国家で、それぞれの民族には自治や信仰の自由などが認められていました。
しかしそのオスマン帝国は第一次世界大戦で敗戦国となりました。そして講和条約のセーヴル条約により、イラク・パレスチナ・シリア・アラビア半島を放棄、イスタンブルと隣接地以外のギリシアへの割譲、軍備縮小、治外法権などとともにクルド人自治区の建設が約束されました。しかしこの自治区建設が実現することはありませんでした。このセーヴル条約はあまりに厳しかったため、不満を覚えたトルコ人たちはムスタファ=ケマル(「トルコの父」の意でアタテュルクとも呼ばれる)を中心にこの条約とさらにこれを締結したオスマン帝国政府に猛反発し、革命を起こしたのです。
ムスタファ=ケマルは侵入してきたギリシア軍を排除して領土を奪還、そしてオスマン帝国を滅ぼすと、トルコ共和国の建国を宣言しました。そして、セーヴル条約を拒否してローザンヌ条約を締結し、領土回復などを認めさせました。こうした結果、ほぼ現在のトルコの領土を奪還したのです。しかしその一方で、クルド人自治区の建設の約束はなくなりました。
こうした結果、クルド人は、イラン・イラク・トルコ・シリアなどに分断されることとなり、それぞれの国において少数民族となったのです。そしてここから、さらに苦難の歴史をたどることになるのです。

