
ある乗客がバスの運賃箱に入れたコインが、2000年前の古代文明の硬貨だった。
これは1950年代のイギリスで、実際に起きた謎の出来事です。
リーズ(Leeds)のバス運転手が受け取った一枚のコインは、当初はただの外国コインだと思われていました。
しかし後になって調べてみると、その正体は古代フェニキア人が鋳造した稀少な約2000年前の硬貨だったのです。
なぜ古代のコインが20世紀のバス運賃として使われたのか。
そして、そのコインはどのような旅をしてイギリスへたどり着いたのでしょうか。
この小さな金属片には、まるでミステリー小説のような歴史が隠されていました。
目次
- バス運賃の中に紛れていた「古代のコイン」
- 調査の結果「2000年前のフェニキア硬貨」と判明
バス運賃の中に紛れていた「古代のコイン」
このコインの存在が知られるきっかけは、1950年代のリーズ市交通局でした。
当時、ジェームズ・エドワーズという男性がバスや路面電車の運賃を回収して数える出納(すいとう)係として働いていました。
彼の仕事は、運転手が集めた運賃を回収し、毎日まとめて計算することです。
その作業の中で、彼はしばしば奇妙なコインを見つけていました。
偽物や外国の通貨など、イギリスの通貨として使えないものです。
エドワーズはそうしたコインを捨てる代わりに、家に持ち帰り、孫のピーターに渡していました。
ピーターはそれらのコインを宝物のように大切にし、小さな木箱に入れて保管していたといいます。
コイン収集家だったわけではありませんが、見慣れない図柄や外国の雰囲気に強く惹かれていたのです。
そして数十年が経った後、その中のある一枚のコインが彼の好奇心を刺激しました。
そこに刻まれた奇妙な図像と文字は、どう見ても近代のコインではなかったのです。
調査の結果「2000年前のフェニキア硬貨」と判明
ピーターがコインの図柄を調べた結果、驚くべき事実が判明しました。
そのコインは、現在のスペイン南部にあった古代都市「ガディール(現在のカディス)」で鋳造されたものだったのです。
年代は紀元前1世紀頃。つまり、約2000年前の古代硬貨でした。
ガディールは、地中海交易で知られるフェニキア人が築いた都市です。
フェニキア人は現在のレバノン周辺を中心に活動した海洋民族で、地中海全域に交易拠点を広げていました。
この都市は西ヨーロッパ最古級の植民都市の一つで、後にカルタゴ、さらにローマ帝国の支配下に入るなど、古代地中海世界の重要な拠点でした。
コインの表面には、フェニキアの神メルカルトの顔が刻まれています。
メルカルトは都市の守護神で、ギリシャ神話の英雄ヘラクレスと同一視されることもあり、このコインではライオンの毛皮をかぶった姿で描かれています。
一方、裏面には2匹のクロマグロが刻まれていました。これは、ガディールで重要だった漁業、とくにマグロ漁を象徴していると考えられています。

つまり、このコインは単なる古い金属ではなく、古代地中海の交易都市の歴史を伝える貴重な遺物だったのです。
しかし最大の謎は、ここからです。
この古代コインがどうやって1950年代のイギリスのバス運賃として使われたのかは、今も分かっていません。
ピーターは、第二次世界大戦の後だったことから、海外に派遣された兵士が持ち帰った可能性を推測しています。
しかし、それを証明する記録は残っていません。
小さなコインが語る「2000年の旅」
この不思議なコインは現在、リーズ博物館・美術館(Leeds Museums and Galleries)に寄贈され、古代通貨コレクションの一部として保管されています。
約2000年前に地中海沿岸で鋳造された一枚の青銅コイン。
それが長い年月のどこかで人の手を渡り、イギリスにたどり着き、さらにバス運賃として使われるという奇妙な運命をたどりました。
ピーターは、祖父がこのコインを博物館に戻したことをきっと誇りに思うだろうと語っています。
ただし、ひとつだけ分からないことがあります。
それは、このコインがどんな人のポケットを経て、どんな旅をして、リーズのバスに乗り込んだのかということです。
2000年前の地中海から20世紀のイギリスまで続くその旅路は、今もなお、歴史の中に静かに隠されたままなのです。
参考文献
Fare to say ancient coin has travelled through time
https://news.leeds.gov.uk/news/fare-to-say-ancient-coin-has-travelled-through-time
2,000-year-old Phoenician coin was used as bus fare in England, but ‘how it got there will always be a mystery’
https://www.livescience.com/archaeology/2-000-year-old-phoenician-coin-was-used-as-bus-fare-in-england-but-how-it-got-there-will-always-be-a-mystery
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部

