永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は菅直人(上)をお届けする。
新人議員時代の“田中角栄批判”
昭和56(1981)年の秋、時に40歳だった筆者は国会での取材のさなか、衆院の特別委員会を垣間見る機会に恵まれた。すると、前年に代議士1年生となったばかりの菅直人が、折から質問に立っていた。
菅は社会運動家として鳴らした市川房枝を支援したのち、少数政党の社会民主連合(社民連)を立ち上げ、同党に所属していた。
さて、国家予算の歳出項目にある「補助事業費」とは、国が都道府県にどれだけの補助金を支出したのかを示すものであり、地域社会における公益投資の原資となっている。その配分上位は、長らく東京、大阪、愛知といった大都市が“常連”で、当時、14支庁が設置され、北海道開発庁まで置いていた北海道が、これに伍する形が続いていた。
ところが、昭和37(1962)年度に“異変”が起きた。日本海側の雪国にすぎない新潟が、一気に愛知の次の5位に躍進、それ以後は愛知を抜いての4位、ついには東京、北海道に次ぐ3位まで急成長したのである。新潟が5位に入ったのは、新潟県選出の田中角栄が大蔵大臣を務めていた頃、4位は自民党幹事長、3位は通産大臣を経て首相の座に就いたときだった。
田中が実力者の階段を駆け上がり、予算獲得に凄腕を見せつけたことは明白だが、菅は委員会の質問で、これにクレームをつけた。菅はいかにも得意気に、こうブチ上げたのである。
「田中角栄氏の出身地である新潟県は、他県と比べて補助金が断然多い。これは、どう見てもおかしいのではないか!」
ところが、この委員会には多数の田中派議員が所属しており、質問をした菅に猛烈な野次を浴びせかけたのである。
「新潟は広いんだ。もっと勉強してこい!」
「雪をどうする! それが政治というものだ」
菅はその後の質問もズタズタにされて、くちびるを噛むようにして質問席を後にした。
【歴代総理とっておきの話】アーカイブ
参院選大敗で「ねじれ国会」
あえて、若き日のこうした例を引いたのは、菅という政治家の“素”を紹介するためである。すなわち、菅は市民運動からはい上がっただけに、国民の不満が奈辺にあるかなどの直感力が鋭い一方で、いささか大局観に欠け、独断専行に走るきらいがあったのである。
また、菅は権力志向もなかなかで、民主党政権になってから党内の実力者である小沢一郎と一度は手を握ったものの、すぐに敵対することとなり、結局は鳩山由紀夫の退陣後のどさくさに紛れ、後継首相の座を手に入れてしまった。
さらに、前任の鳩山は東京大学工学部卒だったが、こちらの菅は東京工業大学(現・東京科学大学)理学部卒。ともに「理系脳」なのだが、物事の進め方で鳩山が「おぼっちゃん」的な甘さを露呈したのに比べ、菅は“情けより知”が先行するタイプであった。
時に、自分の意に沿わぬ相手にはすぐイラつき、これに情け容赦なく怒鳴りつけるという癖も加わって、ついには「イラ菅」の異名が付くことになる。
ために、民主党政権内での求心力は脆弱で、菅の政権運営はことごとく迷走の連続だったのである。
鳩山前政権への国民の批判が強かったこともあり、菅は当初、党内最大グループを率いていた小沢と距離を置く姿勢を打ち出した。こうして内閣支持率を回復させたが、党内の十分な論議を経ないまま消費税増税を掲げたうえで、首相就任早々の平成22(2010)年7月、参院選に臨んで結果は大敗。与党は過半数割れで「ねじれ国会」となり、これが“政権運営”を窮地に陥らせる契機となった。
