中学2年生で不登校になった42歳男性。小学校高学年くらいからダウンタウンのお笑いに心酔し、昼夜逆転した「不健康な生活」が22歳まで続いた。ひきこもりを脱して禅寺で1年間修行。正式に僧侶になろうと決意したが、お笑い芸人になる夢も捨てられない。実家に逃げ帰った男性は「宙ぶらりん」なまま働こうとするが――。(前後編の前編)
「とにかく行きたくない」と“理由なき登校拒否”
八代目指圧太郎さん(仮名、42)は、本人が希望した仮名からもわかるように、現在は指圧師として働いている。飄々としたたたずまいとボソボソとした話し方からは意外だが、一時は本気でお笑い芸人を目指していたという。
子どものころからみんなを笑わせるのが好きだったのかと思いきや、むしろ逆で、すごい人見知りだったそうだ。
「保育園も大っ嫌いでしたね。もう、10円ハゲができるぐらい。給食中にずっとつねられたり、いじめられてた経験もちょっとある。でも、こんなものかなと思って、行くしかなかったんですよね」
小学校に入ると一転、友だちがたくさんできた。公園でサッカーをしたり、家でファミコンをしたり。友だちが帰ると、お笑い番組をくり返し観ていた。
「最初は志村けん、とんねるず。小学校高学年くらいからはダウンタウンがすごい好きで。ビデオに録画して、次の日朝起きたらもう1回観て、学校から帰ってもう1回観るみたいな感じでしたね」
異変が起きたのは、中学1年が終わった春休み。バドミントン部だったが「部活に行きたくない」と思ったのが最初だ。
「顧問が担任の先生だったんですよ。怖いって評判の男の先生で、だんだんストレスが溜まってきて、なんか行くのがかったるくなっちゃって。緊張しやすいんです。人前に出るとガチガチで言葉が出てこない。友だち以外はダメでしたね」
2年生になると、「ちょっと微熱がある」と仮病を使い、最初は週2日、次の週は3日休んだ。5月の連休が終わると、完全に学校へ行かなくなった。
両親は共働きで、父親は会社員、母親は障害者施設に勤めていた。「ゆるい感じの両親だった」というが、「義務教育だから行かないと犯罪だぞ」と何度も怒られた。それでも太郎さんは、テコでも動かなかったそうだ。
「とにかく行きたくない。頑固というか。当時、“理由なき登校拒否”って言葉が流行っていたと思うけど、まさにそれ。私の学年では、私が2人目でしたね」
ダウンタウンのお笑いに救われる
「テストだけは受けてくれない?」
母親に土下座して頼まれ、しぶしぶ中間テストの日に登校した。家庭教師に習ってはいたが、問題を見ても全然わからない。一日中机に突っ伏して寝て、白紙同然で出した。
「ああ、人生終わったな」
学校に来ない太郎さんを心配して、1年のときの親友が友人を誘って家まで来てくれた。6畳の自室に多いときは7、8人が集まって、悪ふざけしたり、女の子の話をしたり。その中の1人が持ってきてくれたのが、当時ベストセラーになった松本人志の著書『遺書』だ。
「読んだその日から、すごい影響を受けて。『お笑いは凄い』『俺は天才』という言葉が刺さっちゃって、一気に“松本信者”になりました。松っちゃんみたいな、お笑い芸人になりたいと、ダウンタウンのビデオを全部買って、ずっと研究してました。
うんとぐらぐらして、不安なときって、強くて自信がある人に惹かれるじゃないですか。不登校になって将来が暗かったところを、あの人の作ったお笑いの作品で、だいぶ救われていたんじゃないですかね」
不登校児を受け入れる高校に進学したが、すぐに行かなくなる。心配した親戚が「お寺の生活を1か月してみないか」と勧めてくれた。
「突拍子もない話だから、断ってもおかしくなかったけど、なぜかOKしたんです」
両親と3人で京都にある禅宗のお寺に着くと、威厳たっぷりの和尚さんが出てきた。長く伸ばしていた髪も「坊主にしてもらう」と厳しい口調で言われ、「緊張してビビった」という。
山門まで両親を見送りに行くと、母親が泣きながら「一緒に帰ろう」と手を差し出してきたが、太郎さんは半べそをかきながらも、断った。
「坊主にされるのは嫌だったけど、1か月だけなら、まあいいかと。将来への不安がなくはなかったので、何か変わるかもしれないという希望もあったんですかね」

