ひきこもりを脱して禅寺で1年間修行
寺では座禅をしたり、お経を読んだりした。だが1か月後、家に帰るとすぐに元の状態に戻ってしまう。
友だちが訪ねてくることもなくなり、昼夜逆転して、お笑い番組を見たり、ゲームをしたり。高校は課題を提出してどうにか卒業できたが、「不健康なひきこもり生活」はその後も続いた。
「ダウンタウンのお笑いを見過ぎて、ガチのファンはそうなりがちなんですが、ますます内向的になって、言葉が出なくなってきちゃって……。外にも絶対に出たくないみたいな感じで、お笑い芸人とはかけ離れた精神状態になって、自分でもちょっと危ないなと。
この状況を脱するには家から出てテレビもラジオもないところを探さないといけない。どこかないかなと思ったら、2つ選択肢が浮かんだんです。刑務所か寺(笑)」
22歳で再び、京都の禅寺に行った。お経や座禅の他に、掃除や食事作り、薪割りなど、朝4時から夜9時半までびっしりやることが続く。「お笑いを見たい」という気持ちは当然あったが、「考える暇を作らないのが禅の修行の醍醐味」だという。
1年間の修行が無事に終了。実家に戻る前に、太郎さんが向かったのはピン芸人向けのR-1ぐらんぷりの予選だ。修行の合間に考えたネタを披露したが、クスリとも笑いがおきない。
「もう箸にも棒にも引っかからない。まったく才能ないのかなと、メンタル落ちたまま、家に帰りました。でも、このままひきこもっていてもしょうがないよな。一回くらい仕事してみようと、そのとき初めて思ったんです」
新聞広告で見つけたホテルの清掃の仕事を始めた。だが、作業中は空調が切られていて、汗かきの太郎さんはシーツ交換をしながら汗が止まらない。1か月も経たずに辞めた。
悶々としているのを見透かしたように、和尚さんから「集中的に座禅をする接心(摂心)をやるから来い」という手紙が届き、京都に向かう。
M-1グランプリの1回戦を突破したが……
太郎さんは座禅をしながら正式に僧侶になることを決意。しばらく修行をした後、両親も呼んで得度式という儀式を盛大にやってもらった。25歳のときだ。
「親も、ようやくこの子、落ち着いてくれると大喜びですよ。次は、住職になる資格を取るため専門僧堂に3年ほど行くんですが、行く寸前の準備期間にやらかしまして。だんだん生活がマンネリ化してきて、ちょっとダレちゃったんですよ」
捨てたはずのお笑いの夢がむくむくと蘇ってきて、「どうしても漫才がやりたい」と思った太郎さん。禅寺に修行に来ていたアメリカ人男性に「一緒にやらないか」と声をかけるとあっさりOK。グリーンライトというコンビ名を考えてくれ、2人でM-1グランプリの予選に出た。
日本語と英語の早口言葉対決ネタをやったら、まあまあウケた。喜んで禅寺に帰ってくると、門で和尚さんが仁王立ちしている。
「『お前ら、何考えとるんやー‼』って、首根っこ掴まれて雷を落とされて。自分では和尚さんに許可取ったつもりだったけど、『わしは許可していない』と。すれ違っちゃったんですね。
2回戦の通知が来て、手足をガクガク震わせながら和尚さんに出たいと頼んでみたけど、案の定、もう1回、雷。もう夢も潰えたし、そこで気持ちがプツっと切れちゃって」
何も言わずに新幹線に飛び乗り、夜中の2時に実家にたどり着いた。こっそり自室のベッドに潜り込み、頭から布団をかぶる。眠れないまま朝になると、起きてきた母親に驚かれた。父親も肩を落として残念がる。
太郎さんは、「もう戻れない。しばらく休ませてくれ」と言うことしかできなかった。
〈後編へ続く『「お坊さんもお笑いも、あきらめます」禅寺を逃げ出し6年ひきこもり…42歳で見つけた意外な生きがい』〉
取材・文/萩原絹代

