
■「マーティに最も共感したのは、その強烈な決意と、なりたい自分に向かって諦めない姿勢」
「いまの奥さんでもあるジョシュの当時の彼女が、『マーティ・シュプリーム』と似たような物語を考えていました。確か2018年か2019年にニューヨークで一緒に食事をして、その時点から準備を始めました。ジョシュは2022〜23年に別のプロジェクトを手掛けていたんですが、それがなくなって、少し時間ができたんです。だから僕は『ジョシュ、ほかになにもやらないで! この映画に時間を使って!』としつこくお願いしていました。ジョシュが映画を作るペースが6年に1本なので、このタイミングを逃せない、と」

マーティ・マウザーとして卓球のラケットを握るシャラメは、『君の名前で僕を呼んで』(17)などのアート系作品とも、『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』(23)のような大作映画とも違って見える。2018年から卓球の練習を始め、撮影開始に備えた。毎朝2時間かけて、分厚いレンズのメガネ、整えられていない眉、荒れた肌のマーティになり切った。そしてなにより、全身から滲み出る剥き出しの野心。これらはすべて、サフディ監督の脚本にしっかりと書き込まれていたそうだ。
「ジョシュはマーティのキャラクターに非常に具体的なビジョンを持っていました。実は裸眼にコンタクトを装着して視力を落とし、本物のメガネをかけることで目が小さく見えるようにしているんです。視力を落としたいというのはジョシュのアイデアでした。ジョシュが言ったことで気に入っている言葉があります。『生きることにどこか難儀しているようなキャラクターを作りたい』と。それは僕にとってとても大きな褒め言葉でした。サフディ兄弟が誰かをキャスティングしようとする時、それは『あなたはまだ洗練さを極めてはいない、荒削りな状態だ』という意味だと受け取っています。どこかの香水のCMに出てくるような完璧すぎる人を求めているのではなく、10代後半から20代前半の自分が持っていたような生々しい個性とか、人生のなかで少し削られてしまった部分が求められていると感じました」

マーティこそが、「俳優としてキャリアを積む前の自分に最も近いキャラクター」とシャラメは言う。「彼は必ずしも人として称賛すべき人物ではないかもしれない。でも僕がこのキャラクターに最も共感したのは、その強烈な決意と、なりたい自分に向かって諦めない姿勢でした。その気持ちはとてもよくわかります。俳優を始めたばかりの頃は拒絶の連続で、自分を信じられるのは自分だけという状況だったので」
■「この映画のすばらしいところの一つは、時代ものでありながらリアリズムがある点」
偶然の出会いからマーティにかかわるようになる往年の女優・ケイをグウィネス・パルトロウ、ケイの夫で卓球大会の大口スポンサーの社長をケビン・オレアリーが、そしてマーティの幼なじみで不倫相手のレイチェルを新進気鋭の女優オデッサ・アザイオンが演じている。これらのキャスティングにもサフディ監督のこだわりが反映されていたという。

「キャスティングがこの映画の電流のような緊張感を生んでいると思います。去年の『ANORA アノーラ』など、ショーン・ベイカー監督の作品からも同じように感じます。この映画のすばらしいところの一つは、時代ものでありながらリアリズムがある点でしょう。ジョシュはスクリーンに映る”顔”にものすごくこだわっていて、エキストラのキャスティングも時代に合う顔かどうか徹底的にチェックしていました。(マーティがハーフタイムショーを行う)ハーレム・グローブトロッターズのシーンなんかは、NBAの名選手トレイシー・マグレディやケンバ・ウォーカーが出ています。NBAファンなら気づくかもしれません。でも『君の顔は時代に合わないな』と言われて出ていない選手もいるほどでした。もったいないことに(笑)」
■「自分に与えられた本来の才能である、俳優として全力を尽くすことに立ち返りました」

『君の名前で僕を呼んで』と『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』(24)で、20代にして2度のアカデミー賞主演男優賞ノミネートを果たしたシャラメは、『マーティ・シュプリーム』で3度目のノミネートを果たし、前哨戦のゴールデン・グローブ賞やクリティクス・チョイス・アワードでは主演男優賞を受賞している。順風満帆に見えるかもしれないが、風当たりの強さや雑音とも対峙しなくてはならない。現在30歳のシャラメは、荒削りでも洗練されているわけでもない現在の状況を、いまを生きることで充実させようとしている。

「22歳から26歳の間、キャリアが本当に動き出した時期に地盤がぐらつくような感覚がありました。だからこそ、『君の名前で僕を呼んで』や『ビューティフル・ボーイ』のような作品を誇りに思いながらも、大切なことを学ばさせてもらった『名もなき者』と『マーティ・シュプリーム』には特別な愛着を感じています。いまの自分の周りの雑音の中で、これらの役にしっかり向き合えたことがうれしい。俳優を始めた初期は、誰もなにも求めてこないし、外からの雑音もない。そして、同世代の俳優の中には、才能を発揮することを恐れて守りに入る人もいれば、無頓着に才能を使い捨てにしている人もいる。僕はどちらの道も歩みたくない。自分に与えられた本来の才能である、俳優として全力を尽くすことに立ち返りました」。
■「大きな夢を持つこと、野心を持つことという、いまの時代に特に大切だと思うテーマが詰まっています」
彼が挙げた2作品――『名もなき者』と『マーティ・シュプリーム』では、主演だけでなく製作にも名を連ねている。稀代の映画スターとして映画をヒットさせるだけでなく、パンデミック以降のハリウッドに立ちこめる暗澹とした空気を蹴散らすことも、自然と引き受けてしまっているように見えた。

「心から願っているのは、この映画がもっと大きなレベルで響くことです。興行収入の話じゃなくて、観る人、一人一人にとってという意味で。大きな夢を持つこと、野心を持つことという、いまの時代に特に大切だと思うテーマが詰まっているから。他人からは妄想に見えたとしても、自分の中にある高い理想に向かって突き進むこと。それがマーティ・マウザーというキャラクターを誇りに思う理由です。この映画はセンチメンタルじゃないし、倫理的になにかを主張しようとしているわけでもない。ただ、自分の限界まで夢を追うことについての映画です。いわゆる“権威ある”アワード向けの作品が揃う場所ではちょっと異質なテーマですよね。でも僕たちの映画は、異質でありたかった。若い子たちが映画を観て『卓球はよくわからないけど、家族や周囲の人々に否定されながらも一つの信念を持ち続けること、それならわかる』と思ってくれたとしたら最高じゃないですか。卓球が本当に美しいメタファーになっていると思います。マーティには金銭的な目標があるわけじゃない。純粋に競技への愛だけで動いている。自分が最強だと信じているんです」

映画の中で、その“異質さ”が試される瞬間が幾度も訪れる。観客に嫌悪感すら抱かせるマーティという人物が、それでも最後まで誰かの心を捉えるとしたら、それはなぜか。シャラメはこう語った。
「ラストシーンは、ジョシュにとっても大きな賭けだったと思います。マーティは嫌悪感を抱かせかねないキャラクターだから、あのシーンでは『観客がこの男が歩む旅路を信じてくれるか』というギャンブルを張っているんです。あのシーンでのマーティの涙をどう解釈するか——青春が終わりを告げる悲しみなのか、父親になることへの畏怖なのか――それは観客に委ねられています。実践的な話をすると、特別なことはなにもなくて、ただそのシーンで最善を尽くすだけでした。あの日、グリップ(機材設置)担当者が『(このシーンを)台無しにするなよ』と言ってきて、僕はそれで思わず笑いそうになりましたが」。

利己的に夢を追い求めた先にはなにが待っているのか――。あのシーンには人生の苦味が示唆されている。ティモシー・シャラメの「最高をつかむ」挑戦は、まだまだ続いていく。
取材・文/平井伊都子
