【球界オフレコ武勇伝2】
プロ野球開幕まで1カ月を切った。その間には大谷翔平らも出場するワールド・ベースボール・クラシックの熱戦が繰り広げられ、まさに野球ネタ一色と化す。昭和満100年。元スポーツ紙スクープ記者が昭和一流選手たちの“夜のキャンプ裏話”をバラした!
【球界オフレコ武勇伝1】を読む
田淵幸一らが集まった店の2階は「無法地帯」だった
キャンプ中の選手の楽しみといえば、地方の美味い飯と酒。記者と選手は地元の店を教え合ったりもした。
’79年と’80年に日本一連覇を成し遂げた古葉竹識監督率いる広島東洋カープの宮崎・日南キャンプでのこと。ミスター赤ヘルの山本浩二は法政大学野球部の同期で大の酒好きだった。そんな浩二に頭を悩ませていたのが古葉だった。
キャンプ中盤、筆者は古葉からこっそりステーキ店に呼び出された。そこで――。
「吉見くん、君から浩二に言ってくれんか。衣笠(祥雄)のように1人で朝まで飲む分には構わん。でも、浩二は池谷(公二郎)や、北別府(学)などの若い連中まで毎晩連れ回しておるんじゃ」
まだ若手で売り出し中の高橋慶彦らをベンチ裏で鉄拳制裁していた「鬼の古葉」が顔を曇らせていた。監督としては「大黒柱が遊ぶのは黙認するが、チームの将来を背負う若手に負担をかけないでほしい」という願いがあったのだ。
この広島とは全く逆だったのが広岡達朗監督時代の西武ライオンズだ。超厳格な管理野球下で選手の完全禁酒、夜11時の門限、さらに肉食禁止の号令まで下されていた。
血気盛んな若い選手たちには辛い生活である。広岡西武の高知・春野キャンプに遊軍記者として入った筆者は、法政一高と法大野球部の同期で主力選手の田淵幸一のツテで練習後に選手たちが密かに集まっていた高知市内の寿司屋に向かった。
店には焼肉が山盛りで用意され、2階では徹夜麻雀に興じる選手たちもいた。もちろん、筆者もその輪に加わり、規則破りの「共犯」となった。
この年(’82年)の西武は東尾修や石毛宏典らが広岡の管理野球に猛反発し、「もうついていけるか! 俺たちだけで優勝して、胴上げで監督をグラウンドに叩き落としてやろうぜ!」と団結。見事、日本一に上り詰めた。
銀座の一流クラブでの“2次会”には選手全員が西武球場(埼玉県所沢市)からバスで乗り付けたが、唯一、参加を断ったのが広岡だった。
【関連】「男気ジャンケン」が若手を圧迫?「羽月事件」を機に問われる、広島の“歪んだチーム体質”
監督が若手の“夜の世話”までリサーチ?
オープン戦も含め2カ月近く軟禁状態を強いられるキャンプでは、酒以上に問題だったのが選手の性欲だ。
落合博満がロッテオリオンズから中日ドラゴンズに移籍(’86年)し、話題沸騰だった星野仙一監督率いる宮崎・串間キャンプ。100人を超える報道陣が殺到し、さすがの星野も簡単に夜の街へ出歩けない状況だった。
そんなある日、筆者を見つけた星野がこっそり耳打ちしてきた。
「吉見、隣町の油津あたりでいい遊び場はないか?」
星野は酒を1滴も飲まないので目的はすぐ分かった。広島担当時代に油津を取材しており、口が堅くて気のいいママが経営するクラブを知っていたので、すぐに手配した。翌日、グラウンドで会った星野は苦笑いしながらこう言ってきた。
「おい吉見、店が終わってからママの家に行ってみたらよ、隣の部屋で中学生の娘と小学生の息子が川の字で寝てたぞ。さすがの俺も手が出せんかったわ!」
当時の監督たちはマネジメントの一環として、独身の若手が変な女に引っかからないよう安全に処理できる店をリサーチして紹介することすら行っていた。
遡れば、昭和のプロ野球界で「黒い交際」はよくある風景だった。黒い霧事件が発覚する以前は、春季キャンプ地の宿舎にその筋とすぐ分かるような輩が堂々と訪問し、選手たちと雀卓まで囲んでいたものだ。
3月5日からは侍ジャパンが参戦する『ワールド・ベースボール・クラシック』1次ラウンド(東京ドーム)が開幕する。大谷翔平、山本由伸ら絵に描いた“優等生プレーヤー”は時代の潮流かもしれない。
ただ、昭和のプロ野球界には人間臭くて魅力あるスターがゴロゴロいた。
【一部敬称略】取材・文/スポーツジャーナリスト吉見健明
『週刊実話』3月19日号より
吉見健明
1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。
