The Hollywood Reporterの記事によると、ベルリン映画祭のディレクターであるトリシア・タトルいわく、この傾向はベルリンに限ったことではなく、映画業界全体の状況が起因しているという。『罪人たち』、『ワン・バトル・アフター・アナザー』、『ズートピア2』、映画『F1(R)/エフワン』、『WEAPONS/ウェポンズ』といった2025年の主要スタジオ作品はいずれも映画祭ルートを回避し、2025年5月のカンヌ国際映画祭に出品した『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』が唯一の例外だった。

■映画祭における“宣伝価値”の変化
背景にあるのは「炎上リスク」への過剰な警戒。スタジオのマーケティング幹部たちは、映画祭での評判が瞬時に拡散し、公開前にキャンペーンそのものを潰しかねないと危惧する。映画祭でプレミア上映となるとエンバーゴ(情報解禁日)を設定することもできず、評判をコントロールできない。大きな転換点となったのは2024年だったと考えられる。第76回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を獲得し、全世界で10億ドル以上のヒットとなった『ジョーカー』(19、トッド・フィリップス監督)の続編『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』(24)は、第81回ヴェネチアで評判が振るわず興収2億ドル程度に留まった。同年第77回カンヌ映画祭出品の『マッドマックス:フュリオサ』(24)も1.74億ドルと興行成績は前作ほど振るわず、ケヴィン・コスナーの『Horizon: An American Saga - Chapter 1』は4000万ドル以下と大失敗に終わった。華やかなレッドカーペットのインプレッション数やスタンディングオベーションの分数は興行を保証しない、その現実をスタジオは改めて突きつけられた。

加えて、マーケティングの構造変化も影響している。SNSやTikTokが集客を左右する時代に、映画祭のメディア露出の宣伝価値は相対的に低下しつつある。ティモシー・シャラメが主演作『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』(公開中)で体現したゲリラ的なバイラル戦略が、いまやレッドカーペットよりも有効な宣伝になりつつあると見ることもできる。
■映画祭を経由しない“炎上回避”ルート

では実際に、映画祭を経由せずオスカーの頂点に届くことはできるのか。今シーズンはその実験場になったと言えるかもしれない。ワーナー・ブラザースは今年の第98回アカデミー賞レースで稀有な状況に直面している。配給する『ワン・バトル・アフター・アナザー』と『罪人たち』が、ともに最有力候補として激突している。注目すべきは、両作品ともヨーロッパ三大映画祭を一切経由していない点だ。その背景には、「炎上リスク」の回避だけでなく、コスト面の事情も絡んでいる可能性がある。スターや監督を勢揃いさせ映画祭へ参加するには1作品あたり100万ドル近い経費がかかると言われており、身売りを見据えて企業評価額を引き上げなければならなかったワーナーにとって、そのコストを避ける動機は十分にあったと考えられる。
ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、ゴールデン・グローブ賞、全米映画批評家協会賞など主要批評家賞をすべて制覇し、『シンドラーのリスト』(93)『L.A.コンフィデンシャル』(97)『ソーシャル・ネットワーク』(10)しか達成していない批評家賞完全制覇という快挙を遂げている。だが、1月のアカデミー賞ノミネーション発表の朝、『罪人たち』が史上最多タイとなる16部門ノミネートを記録し、レースは一変。アンダーソンの監督賞、そして作品賞受賞が確実視されていたのが、『罪人たち』のライアン・クーグラー監督が、黒人初の受賞となる可能性も上がってきた。

『マーティ・シュプリーム』のジョシュ・サフディ監督の弟、ベニー・サフディ監督の『スマッシング・マシーン』(5月15日公開)はヴェネチアでプレミアを行い、ベニーが監督賞を受賞している。だが『マーティ・シュプリーム』は、ヨーロッパの映画祭ではなく、サフディ監督の地元でロケ地でもある第62回ニューヨーク映画祭のオープニングでワールド・プレミアを行い、ニューヨークの批評家の強い支持を獲得した。ところが、『マーティ』はBAFTAで11部門ノミネートながら無冠に終わり、主演男優賞のフロントランナーと見られていたシャラメはBAFTAに続きアクター・アワード(旧SAG賞)も落としている。映画祭を経由しないキャンペーンは、ヨーロッパの投票会員への浸透という点で依然として死角を抱えている可能性がある。
■大手スタジオとは真逆の戦略をとるNEON

スタジオが映画祭から距離を置く一方で、真逆の戦略で結果を出し続けているのが独立系配給会社のNEONだ。同社は過去6年連続でカンヌ映画祭パルム・ドール受賞作を配給。第92回アカデミー賞で作品賞・監督賞・脚本賞を受賞した『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ監督、第72回カンヌ映画祭)と、第97回で同部門を制した『ANORA アノーラ』(ショーン・ベイカー監督、第77回カンヌ映画祭)で、パルム・ドールからオスカーへのゴールデンルートを二度確立してみせた。
今シーズンも、そのモデルは着実に機能したと言えそうだ。第78回カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞したジャファル・パナヒ監督『シンプル・アクシデント/偶然』(5月8日公開)、グランプリのヨアキム・トリアー監督『センチメンタル・バリュー』(公開中)、監督賞・男優賞受賞の『シークレット・エージェント』(2026年公開)、審査員特別賞の『シラート』(6月5日公開)——NEONが配給する4作品が第98回アカデミー賞国際長編映画賞にノミネート、俳優賞や技術賞など複数部門でのノミネートも果たした。

唯一の誤算は、パク・チャヌク監督の『しあわせな選択』(公開中)だったかもしれない。同作はもともと5月のカンヌがお披露目と噂されていたが、完成が間に合わず9月の第81回ヴェネチア国際映画祭にシフト。ところが審査委員長アレクサンダー・ペインとの相性が悪く無冠に終わり、トロント国際映画祭の国際観客賞を受賞するも、オスカーのノミネーションにはあと一歩届かなかった。カンヌという“ゴールデンルート”を逃したことが、最後まで響いたと見ることができるかもしれない。一方で、パク・チャヌク監督は今年5月に行われる第79回カンヌ映画祭で、韓国の映画人として初めて審査員長を務めることが発表された。因果はどこで巡るかわからないものだ。

■第98回アカデミー賞で問われる、映画祭の存在意義
ここで一歩引いて考えると、映画祭ルートと映画祭回避ルートの分岐には、より根本的な問いが潜んでいるように思える。それは「誰が映画を売るのか」という問いだ。

NEONが手掛ける作品群に共通するのは、ポン・ジュノ、ショーン・ベイカー、ジャファル・パナヒ、ヨアキム・トリアーといった監督名がそのままブランドになっている点だ。ヨーロッパの映画祭に根強く残る権威体質は、作家性を国際的に可視化するための装置として機能している。批評家やアカデミー会員に「あの監督の新作」として認知させるうえで、カンヌという舞台は依然として最も効率的な場のひとつと言える。
一方、映画祭を回避した作品に目を向けると、ティモシー・シャラメ、マイケル・B・ジョーダン、レオナルド・ディカプリオ、ベニチオ・デル・トロといったスターが、キャンペーンそのものを牽引できる顔ぶれであることに気づく。キャストのSNS発信力やメディア露出が、映画祭のお墨付きに代わる集客エンジンになり得る。

つまり、監督が映画を売るなら映画祭、スターが映画を売るなら独自キャンペーン——そう整理できる部分もあると言えるかもしれない。もちろん例外もある。三大映画祭の全てで監督賞の受賞歴があるアンダーソン監督の『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、ディカプリオというスター性と監督の作家性が高いレベルで両立しているが、それでも映画祭を回避した。強いキャストがいれば、あえて「炎上リスク」を冒す必要がないという判断が働いた可能性もあり、その選択自体が今シーズンの戦略的な読み筋を象徴しているようにも見える。
映画祭を通じた権威付けか、SNS主導のバイラル戦略か。今年の第98回アカデミー賞授賞式は、その答えを問う分水嶺になるかもしれない。

大手スタジオにとって「映画祭なしでもオスカーを獲れる」という前例が確立されれば、今後の戦略は加速度的に変わっていく可能性がある。同時に、国際長編映画賞部門では依然として映画祭実績が事実上の条件であり、NEONが証明し続けているように、映画祭ルートが完全に時代遅れになるわけでもない。
むしろ二極化が進みつつあると見ることもできる。資金力のあるスタジオはリスクを避けて独自キャンペーンに舵を切り、独立系・国際映画はより映画祭への依存を深めていくだろう。記事にある「映画祭なしでは、これらの映画は消えてしまう」というフランスの販売エージェントの言葉は、その現実を端的に表している。
そして忘れてはならないのが、映画祭が直面する「政治的圧力」の問題だ。第76回ベルリン映画祭では、開会記者会見で政治的ステートメントを発しなかったヴィム・ヴェンダース審査委員長への批判が白熱した。本件に対するベルリン映画祭の対応に、世界中の映画人が反応している。ここにも「炎上リスク」が潜み、映画祭が審査員・出品ともに優れた映画人を惹きつけ続けられるか、改めて存在意義が問われている。
文/平井伊都子
