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【連載】onodela「アナーキーアイドル」#10 バークレーで物語の主人公を生きた話

【連載】onodela「アナーキーアイドル」#10 バークレーで物語の主人公を生きた話

卒業式の時の写真
卒業式の時の写真 / 本人提供

2019年7月に、ステージ上でいじめを告発した動画がバズり、アイドルを引退した「小野寺ポプコ」。その後、早稲田大学を卒業、カリフォルニア大学バークレー校へ留学し、卒業生代表としてスピーチをしたことも話題だ。物議を醸したあの日から一体どんな未来に繋がっていったのか。現在、onodelaとして活動する彼女が自身の言葉で書き綴るエッセイ「アナーキーアイドル」。連載第10回は、バークレーで物語の主人公を生きた話についてお届けします。

■#10 バークレーで物語の主人公を生きた話

2023年3月、フランスでの3か月間の滞在を終えたわたしは、パリからサンフランシスコへの直行便に搭乗した。サンフランシスコから20分ほど離れたバークレーに、わたしが入学予定の大学院があるからだ。

空港でタクシーに乗り、窓から映画「アントマン」や「ヴェノム」で観たフィッシャーマンズ・ワーフを眺めながら、これからの一年がカリフォルニアのサンライトを浴びて、予想もしなかった激動の一年になるとは、この時は思いもよらなかった。

バークレーは、US Newsなどの公立大学部門ランキングで全米一位の大学である、UCバークレーが心臓となる街。朝の通学時間帯、キャンパスに向かう人波がそのまま街の動線に重なる。ダウンタウンの書店や古着屋、ベジタリアンのレストランは、半分は街の住民のため、半分は学生のためにあるという。

朝は霧が海側からゆっくり上がってきて、昼には乾いた日差しに変わる。夏でも風が冷たく、パーカーを一枚羽織らないと落ち着かないけれど、反対に冬はそれほど寒くはならない。3月に着いたばかりのわたしには、どこか春のように暖かく感じられた。

3年前に終えた、楽しいことばかりだったシアトルでの交換留学とは違い、バークレーで金融工学を学ぶこの旅は、最初から期待と同時に不安が押し寄せてくる。

一つ目の不安は、コロナ禍後のアメリカの変化を、否応なく肌で感じてしまうことだ。パンデミックによる経済の停滞や物価高騰の影響は、街の空気そのものを変えてしまったように思える。以前は整然として穏やかな街だったが、今ではその光景も大きく変わった。ダウンタウンでは閉店した店舗が目立ち、割れたガラスや落書きが残るなど、どこか退廃的な雰囲気が感じられる。ミドルクラスの白人に人気のオーガニックカフェが過密と言ってもいいほど並んでいる一方で、そのすぐ前ではホームレスが昼間から寝袋を広げている。横を通るたび、よく理解できないことで話しかけられ、かなりの恐怖を覚えることもある。

スーパーで卵や肉、トイレットペーパーなど、食料品や生活用品全般が5年前の2倍近くに値上がりしていることにも驚く。ベイエリア(サンフランシスコ湾岸一帯)の家賃は全米屈指の高さで、これから住むことになるのは、4人でシェアする毎月1500ドルもする小さな寮だ。

二つ目は、文系学部出身のわたしにいきなり降りかかる、怒涛の工学コース。高度な数学を扱うだけでなく、それをプログラミングによって具体化し、抽象的な理論を現実で説明可能なストラテジーとして実装する能力、さらにニューラルネットワークなどのAI技術まで求められる。年4学期制のため、1週間に2回の宿題、2週間に1回の小テスト、毎月の中間あるいは期末試験が続き、想像以上の重荷になる。

歴史が長く、ノーベル経済学賞受賞者が何人も教授陣に名を連ねる、全米でダントツトップとも言われる恵まれた環境にいる。なのに、「1000万を超える学費を払ったうえで卒業できなかったら……」「エンジニア歴のない自分がこの業界で仕事を見つけられなかったら……」「同期はみな自分より経験豊富で、ついていけなかったら……」。そんな思いが頭をよぎるたび、素晴らしいはずの環境が、逆に今までにない重圧へと変わっていく。

初回の授業は、確率論による株式の予想リターンの計算から始まった。そして、何もわからないまま最初の一週間が終わる。頭に浮かぶのは、「ああ、これでは試験で合格点を取れるわけもなく、1学期目で退学させられるだろうな」という思いだ。

朝6時に起き、前日の授業を復習してから、9時から6時まで授業とゼミに参加する。そのあと宿題をこなし、11時に狭い寮へ戻り、深夜1時にシングルベッドに倒れ込む。それでも成績は平均に届かず、心のどこかが壊れていく。約5年間、金融を研究する道を歩いてきたものの、間違った選択をしたのではないかと、暇さえあれば不安に襲われ、「いっそ消えてしまえたらよいのに」と思うことさえあった。

ある時、指導教員に促されて学校附属の病院へ行った。一度で終わらせるつもりだった心療セラピーは、そこから週2回通うことになる。寝る時間も惜しむ中での大きな時間の浪費だが、カウンセラーと話している時間だけは思う存分泣き、生きている実感を取り戻せた。

入学してまだ数週間しか経っていないのに、何度も心療内科の医師から「一旦学校を休もう」と勧められる。少人数のプログラムのため、一度授業を休めば、同じ授業を受けるには1年待たなければならない。親の負担や留学ビザのステータスを考えると、どうしてもその選択をする勇気が出ない。

それでも、目の前の課題を一つずつこなすしかない。パニック発作が起きても、机の下で震える手を押さえながら、薬を飲んで机に向かい続ける。

そして迎えた最初の期末試験で、予想に反してなんと全科目パスすることができた。ありがたいことに、教授たちは頑張ってもなかなか成果を出せない学生に対して、個別指導などの支援を行っていて、その恩恵を受けた。厳しいカリキュラムを課してはいるが、努力し続ける限り置いていかれることはない。そこに、アメリカの大学の人間味を感じる。

合格点を取れたことで、ひとまず一区切りがつき、来学期も同じように努力すれば退学させられることはないだろうと一安心する。しかし、これが本当にわたしの求めたキャリアなのかと、心のどこかで不協和音が鳴り始める。

シカゴの風景
シカゴの風景 / 本人提供



金融工学の仕事は、高度な技術力が求められ、金融業界の中でも高給として知られる。それと引き換えに、ブラックと言ってもいいほど長い労働時間を強いられる世界でもある。体力とメンタルの強さがない者から順に脱落していく、残酷なレース。この戦場で、わたしに戦える武器はあるのか。

そんな苦悩を抱えながら、2学期目に突入。1学期目より少し良い成績を取り、自信がわずかにつく。そして3学期目にはさらに手応えを感じ、その変化に周囲が少し驚く。クラスメイトに勉強法を聞かれることもあるが、特別なものはない。ただ、自分の感情を脇に置き、地道にやるべきことをやる。それだけだ。入学してから、週末も、わずか一週間の夏休みも休むことなく、とにかく勉強漬けの日々が続く。

■シカゴ取引所でのインターン生活

プログラムが終盤に差しかかる秋、わたしは勝ち取った短期インターンのためシカゴへ向かう。宿題とテストの重荷から解放され、やっと一息つけると安堵するが、憧れていた金融機関に自分がいていいのかという不安を感じる。でも、挑戦したい気持ちのほうが何倍も大きい。

シカゴが「風の街」と呼ばれるのは嘘ではないみたい。空港を出て乾いた強い風が頬に触れたとき、寒さよりもシカゴに着いた実感が湧き、わくわくした気持ちが溢れ出す。近代建築の宝庫と呼ばれ、世界最古の鉄骨高層ビルや、きらめく超高層ビル群が「ようこそ」と言っているように見えた。

インターン先はシカゴ取引所。入館の際に通るセキュリティゲートが十二もあり、巨大モニター、ニュース用の放送ブース……そのスケールの大きさに、最初は思わず圧倒される。

わたしが就くクオンツ・リサーチャーと呼ばれるこの仕事は、膨大な企業データを機械学習で分析し、株や市場の動きを予測する仕事だ。企業情報や経済ニュースも考慮し、「本当はもっと価値があるのに、今は安い資産」を探す。そして、リスクが大きくなりすぎないようにさまざまなパターンを想定し、対策を立てる役割を担う。

仕事は決して楽ではない。市場が開く前から準備をし、データを整え、モデルを検証する。小さな仮定のずれが大きな誤差につながる世界だ。議論も鋭く、求められる精度は高い。それでも、気持ちは学校にいるときほど重くない。

バークレーで授業を受ける時は、常に「ついていけるか」という恐怖と隣り合わせだった。自分が場違いなのではないか、明日には脱落してしまうのではないかという漠然とした不安が、呼吸のようにまとわりついていた。けれど、ここでは違う。成果は数字で示される。モデルが機能すれば評価され、改善点があれば具体的に指摘される。曖昧な不安よりも、目の前の課題がはっきりしている。

大変ではあるが、理不尽ではない。その緊張感を、だんだん「重さ」ではなく、「責任」として受け止められるようになってきた頃、そろそろ学生ではない、一人の社会人としての輪郭が、静かに自分の中で浮き彫りになっていく。

10月のシカゴ。街中にパンプキンスパイスの香りが漂い、休憩中に駆け込んだカフェで飲むホットココア味のミルクシェイクが好きだ。その甘さが、ただの一休みをロマンチックな時間に変えてくれる。吹き付ける風は強いけれど、人の気配がやわらかい街に恋をしたような気分になる。

たった数か月のインターン。だからこそ、思い切って一番高いタワーマンションを借りた。仕事が終わるとカードキーで30階の部屋に戻り、全面ガラス張りのリビングでシカゴ川沿いの夜景を眺めながら、何年ぶりかにこう思った。

「生きていてよかったな」

インターンでは、思うようにいかず、転ぶこともたくさんある。それでも、バークレーでの学びと、何より鍛えられたメンタルで乗り越える。AIや統計モデルのスキルを使ってプロジェクトにも貢献し、社員からの信頼も築いていく。最初の「ここにいていいのか」という当初の問いには、もう答えが出ていた。プログラムの始まりに味わった地獄のような絶望感と痛みが、やっと和らぎ始める。

最後の1学期、再びバークレーに戻ったわたしの心境はすっかり変わっていた。もう学業に怯えたり、逃げたいと思ったりすることはなく、冷静に向き合えるようになる。一方で、別れの気配も芽生え始める。教授たち、行きつけの店、同級生――そのすべてが、やがて離れていく存在だと実感し始める。

最初は好きになれないと思っていた、学生だらけで、少し雑然としたこの街も、理想主義、競争、焦燥、知性――それらが濃縮されているからこその、唯一無二の街だと思えるようになる。

そしてバークレーでの課程が終わる。平均以下から上位まで成績を伸ばし、教授たちやインターン先からの高い評価を受けた結果、わたしは卒業生代表として卒業式でスピーチをすることになった。

卒業式で、みんなより先に自分の名前が呼ばれる。席を立ち、最前列から壇上まで、わずか数歩の距離なのに、これまでの時間が走馬灯のように浮かんでくる。壇上から観客席を見渡すと、わたしの苦しい時期を知っている数人の友人の姿が目に入る。彼らに支えられてきた一年だ。

アイドル時代よりもまぶしいスポットライトに照らされ、わたしが流した涙と汗で勝ち取ったこの瞬間、まるで自分が物語の主人公になったかのように思える。職員の方々や同級生への感謝を伝え、これからどこへ行ってもここで学んだことを忘れず、業界のリーダー、そしてイノベーターになろうという思いを言葉にする。

お祝いの花束を手にし、歓声と拍手を浴びたわたしは、満面の笑みを浮かべていた。それは、この先に待っている展開をまだ知らないからこその、雲ひとつない笑みだった。
【写真】卒業式の時の写真
【写真】卒業式の時の写真 / 本人提供

バークレーの友達との写真
バークレーの友達との写真 / 本人提供

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