
うつ病や自殺は、多くの場合、仕事のストレス、人間関係、経済的な困難などに要因があるとされています。
一方で、近年の心理学研究は、もう一つの重要な視点を提示しています。
それは、社会が共有している「文化的価値観」が、そこに属している人のメンタルヘルスに影響する可能性です。
米ワイオミング大学(UW)の研究によると、特に、アメリカ社会などで代表的に見られる「名誉文化(honor culture)」が、うつ症状や自殺念慮と関係している可能性が示されました。
つまり、周囲からの評判や名誉を強く重視する文化ほど、うつ症状や自殺念慮の割合が高くなりやすいのです。
目次
- 「名誉文化」とは?
- なぜ「名誉文化」は心を疲弊させるのか
「名誉文化」とは?
名誉文化とは、自分や家族の評判、尊厳、社会的な名誉を非常に重要なものとして扱う文化を指します。
こうした社会では、人々は礼儀や体面を重んじ、他者を侮辱しないよう慎重に振る舞う傾向があります。
一方で、自分の名誉が傷つけられたと感じた場合には、それを強く問題視する傾向もあります。
この文化は、歴史的には牧畜社会で発達したとする説が有力です。
牧畜社会では家畜が家族の財産であり、盗難によって生活基盤が一瞬で失われる可能性がありました。
そのため、自分や家族が「簡単に手出しできない相手」であるという評判を築くことが、防衛手段の一つとして重要だったと考えられています。
現在でもアメリカでは、特に南部や西部の州がこの文化的伝統を比較的強く持つ地域とされています。
名誉文化とうつ症状・自殺念慮の関係
研究チームはその調査で、アメリカ50州を対象に、それぞれの州がどの程度、名誉文化の特徴を持つかを評価しました。
この評価では、例えば、「家父長的・父権的価値観の強さ」や、アメリカならではの「銃規制の緩さ」など、名誉文化と関連する複数の社会的指標が用いられました。
チームは次に、公衆衛生データを用いて各州における
・過去1年間に少なくとも2週間うつ状態を感じた成人の割合
・うつ病と診断された成人の割合
・過去1年に自殺念慮を報告した成人の割合
を調べました。
その結果、貧困や教育水準など、うつ症状と関連する他の要因を統計的に調整した後でも、名誉文化の特徴が強い州では、うつ症状を経験した人の割合がやや高い傾向が見られたのです。
さらに、カリフォルニア州とルイジアナ州に住む4235人の成人を対象に個人レベルの調査も実施。
分析の結果、年齢、性別、収入、教育、宗教性などの要因を考慮した後でも、名誉文化の価値観を強く支持する人ほど、うつ症状や自殺念慮がやや多いという、統計的に有意な関連が確認されました。
なぜ「名誉文化」は心を疲弊させるのか
では、なぜ名誉文化がメンタルヘルスと関係するのでしょうか。
研究者たちは、その理由としていくつかの可能性を挙げています。
その一つが、助けを求めることへの心理的な抵抗です。
名誉文化では
・強さ
・自立
・社会的評価
が重要視される傾向があります。
そのため、精神的な苦しみを他人に打ち明けたり、専門家の治療を受けたりすることが、場合によっては「弱さ」と受け取られる可能性があります。
もしそのような社会的プレッシャーが存在するなら、悩みを抱えた人が
・周囲に相談しない
・専門的な支援を受けない
といった状況が生まれやすくなるかもしれません。
研究者たちは、このような文化的要因がメンタルヘルスに影響している可能性があると指摘しています。
こうして、周囲からの評判や名誉を重視する文化は今や、アメリカだけでなく、日本を含む多くの現代社会に見られるものなので、注意が必要です。
私たちの心の健康は、個人の性格や生活環境だけでなく、社会がどのような価値観を共有しているかという文化的背景にも影響される可能性があります。
もし助けを求めることが「弱さ」ではなく、自分や家族を守る行動として受け止められる社会が広がれば、メンタルヘルスの状況も変わるかもしれません。
参考文献
Do “Honor Cultures” Raise the Risk of Depression and Suicide?
https://www.psychologytoday.com/us/blog/culture-conscious/202603/do-honor-cultures-raise-the-risk-of-depression-and-suicide
元論文
Is Honor Culture Linked With Depression?: Examining the Replicability and Robustness of a Disputed Association at the State and Individual Levels
https://doi.org/10.1177/00220221251348586
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部

