
コウモリは様々なウイルスの自然宿主であり、ときに人間や他の動物への感染の出発点となることがあります。
エボラウイルス、狂犬病ウイルス、ニパウイルス、さらにはコロナウイルスの仲間まで、コウモリは多くの人獣共通感染症と関わる動物として知られています。
この問題に対し、中国科学院(Chinese Academy of Sciences)を中心とする研究チームは、蚊をワクチンの運び役にする方法と、コウモリの塩分を求める行動を利用した経口ワクチン法を組み合わせ、野生のコウモリに免疫を広げる戦略を検証しました。
研究成果は2026年3月11日付で科学誌『Science Advances』に掲載されています。
目次
- 蚊に「ワクチン」を運ばせて、コウモリに免疫を持たせる方法
- 蚊を利用した「空飛ぶ注射器」で、動物に免疫を持たせることに成功
蚊に「ワクチン」を運ばせて、コウモリに免疫を持たせる方法
コウモリは哺乳類全体の約22%を占める大きなグループで、多くのウイルスの自然宿主として知られています。
コウモリ自身は感染しても目立った症状を示さないことが多い一方、そのウイルスが他の動物や人間に移ると深刻な感染症を引き起こすことがあります。
論文でも、コウモリ由来ウイルスとしてエボラ出血熱、重症急性呼吸器症候群(SARS)、中東呼吸器症候群(MERS)、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)などが挙げられています。
またニパウイルスは、果実食のコウモリから豚や馬のような中間宿主を経由したり、コウモリに汚染されたナツメヤシ樹液を人が口にしたりすることで広がることがあります。
狂犬病ウイルスについても、一部の地域ではコウモリが主要な感染源となっています。
つまり、人間側だけで感染を防ぐのでは不十分で、野生動物の段階でウイルスの循環を減らせるかが大きな課題でした。
従来の対策としては、コウモリの駆除や、捕獲して個別にワクチンを接種する方法が考えられてきました。
しかし、コウモリは広く分布し、種類も多く、群れも大きいため、1匹ずつ捕まえてワクチンを打つのは現実的ではありません。
しかも論文では、ラテンアメリカで行われてきたコウモリの駆除が、かえって狂犬病の拡散を悪化させる可能性まで指摘されています。
その一方で、野生動物にワクチンを広げて感染症を抑えるという考え方そのものには実績があります。
たとえば、20世紀の狂犬病ワクチンキャンペーンが、キツネやアライグマなどの野生動物で狂犬病の制御に成功しています。
問題は、それをコウモリでどう実現するかでした。
そこで研究チームが注目したのが、コウモリの自然な行動です。
コウモリは蚊を食べることがあり、蚊はコウモリの血を吸うことがあります。
さらにコウモリは塩分を求めます。
「ならば、この行動をそのままワクチンの配送ルートにできるのではないか」
研究者たちはそう考え、蚊と塩トラップを利用した2つの方法を組み立てました。
まず蚊を使う方法では、組換え水疱性口内炎ウイルス(rVSV)を土台にしたワクチンを作製しました。
このウイルスは昆虫と哺乳類の両方に感染できる性質を持ち、そこへ狂犬病ウイルスやニパウイルスのタンパク質を組み込むことで、免疫を誘導するワクチンとして使います。
実験では、蚊(ネッタイシマカ)にワクチンを含んだ血液を吸わせ、蚊の体内でワクチンを増やしました。
これが唾液腺に届けば、蚊が吸血する際にワクチンを送り込めます。
まさに「空飛ぶ注射器」です。
しかも研究者たちは、蚊にX線を照射して不妊化し、野外で増えないように工夫しました。
もう一つの方法が、塩トラップを使う経口ワクチンです。
コウモリは塩分を求めて塩水を飲むことがあるため、研究チームは塩の霧でコウモリを引き寄せ、その近くにワクチン入りの塩水を置く装置を作りました。
コウモリが匂いをたどってやって来て塩水を飲めば、口からワクチンを取り込めるわけです。
実際に、マウスやハムスター、コウモリでこれらの方法を試したところ、蚊による接種でも経口投与でも中和抗体ができ、狂犬病やニパウイルスに対する防御効果が確認されました。
では、この方法はどれほど効果的だったのでしょうか。次項で確認しましょう。
蚊を利用した「空飛ぶ注射器」で、動物に免疫を持たせることに成功
まず研究チームはは、ワクチン入りの血液を吸わせたネッタイシマカの体内で、組換え水疱性口内炎ウイルスが少なくとも18日間維持され、唾液腺からも検出されたと報告されています。
つまり、蚊はワクチンを抱え込むだけでなく、吸血の際に相手へ渡せる状態になっていたわけです。
マウスの実験では、ワクチンを保有した蚊をすりつぶした試料を口から与える方法と、ワクチンを持った蚊に吸血させる方法の両方が試されました。
狂犬病ワクチンでは、前者の方法で中和抗体が上がり、感染試験ではワクチンを保有した蚊をすりつぶした試料を5匹分与えた群で91.6%、20匹分与えた群では100%が生存しました。
吸血による接種では58%でしたが、対照群が全滅したことを考えると、防御効果は明らかです。
コウモリでの結果はさらに重要です。
研究チームは、Murina leucogaster というコウモリに2回ワクチンを与えたあと狂犬病ウイルスで感染試験を行っています。
その結果、蚊に刺される方法では4匹中4匹が生存して100%、ワクチンを保有した蚊をすりつぶした試料を口から与えた群では4匹中3匹が生存して75%でした。
少数例ではありますが、「コウモリにワクチンが効き得る」ことを実験的に示したのは大きな成果です。
塩トラップについては、北京の洞窟に設置した装置の塩水にテトラサイクリン(目印となる抗生物質)を混ぜ、野生コウモリが実際に飲むかが調べられました。
その結果、1週間後に集めた新しい糞の85%からこの物質が検出されました。
これは、多くのコウモリが実際にトラップへやって来て塩水を口にしていたことを示します。
ここで確認されたのは野外でのワクチン効果そのものではありませんが、野生のコウモリがこの配送装置を利用する可能性は十分あると分かります。
この研究が面白いのは、コウモリの自然な免疫と、ワクチンで与える免疫が別物だと分かる点です。
コウモリは多くのウイルスを抱えていても、自分では重い症状を示さないことが多い動物です。
しかしそれは、ウイルスが体内に居続けられる余地があるということでもあります。
今回のワクチンは、そうした自然な状態とは別に、狂犬病やニパウイルスのような特定の病原体を狙った獲得免疫を持たせようとするものです。
狙いは、コウモリ自身の保護だけでなく、そこから他の動物や人間へ広がるリスクを減らすことにあります。
もちろん、研究で作られた「空飛ぶ注射器」は、すぐに野外へ放てる段階にはありません。
実際の応用には規制や生態系への影響、安全性評価が必要です。
特に、作製した蚊をどの範囲に放すのか、他の動物へどこまで影響するのか、自然条件で十分な接種率を得られるのか、といった問題は今後の課題です。
それでも、この研究が示した意味は小さくありません。
感染症が人間社会に入ってきてから追いかけるのではなく、流行の上流にいる野生動物の段階で食い止めるという発想を、かなり具体的な実験として形にしたからです。
もし今後、この方法が安全に洗練されていけば、コウモリをむやみに駆除せずに感染症リスクを減らす「新しい防疫の形」につながるかもしれません。
参考文献
Turning mosquitoes into flying vaccine carriers to protect against bat-borne viruses
https://phys.org/news/2026-03-mosquitoes-flying-vaccine-carriers-borne.html
元論文
Ecological vaccination: A strategy to prevent zoonotic spillover from bats
https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.aec0269
ライター
矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。
編集者
ナゾロジー 編集部

