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【W杯回顧録】第7回大会(1962年)|ペレ不在でも“王国”は揺るがず。ガリンシャが輝いたブラジル連覇の真実

【W杯回顧録】第7回大会(1962年)|ペレ不在でも“王国”は揺るがず。ガリンシャが輝いたブラジル連覇の真実


 北中米ワールドカップが6月11日に開幕を迎える。4年に一度、これまでも世界中のサッカーファンを魅了してきた祭典は、常に時代を映す鏡だった。本稿では順位や記録の先にある物語に光を当て、その大会を彩ったスター、名勝負、そして時代背景などをひも解いていく。今回は1962年の第7回大会だ。

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●第7回大会(1962年)/チリ開催
優勝:ブラジル
準優勝:チェコスロバキア
【得点王】ガリンシャ(ブラジル)、ババ(ブラジル)、レオネル・サンチェス(チリ)、ドラザン・イエルコビッチ(ユーゴスラビア)、フロリアン・アルベルト(ハンガリー)、ワレンティン・イワノフ(ソ連):4得点

 弱冠17歳の若き王様ペレを迎え、前回のスウェーデン大会で初優勝したブラジルは、黄金時代を満喫していた。

 5月30日、ブラジルの開幕戦、メキシコとの試合でピッチに立ったスタメンのうち9人は前回の決勝戦を経験していた。

 21歳になったペレは絶好調だった。56分、マリオ・ザガロの先制ダイビングヘッドをアシストすると、73分には鮮やかなドリブルからゴールネットを揺する。紛れもなく2-0の勝利の立役者となった。

 ところが、続くチェコスロバキア戦でアクシデントが起こった。25分、ペレはポスト直撃の強烈なシュートを放つが、その瞬間に肉離れを起こしてしまう。まだ交代が認められない時代だったのでペレは最後までピッチに残ったが、その後の復帰は叶わなかった。

 1962年大会のチリ開催が決まったのは、その6年前のことだった。欧州と南米からそれぞれ2か国ずつが立候補したが、欧州開催が続くので同じ南米のアルゼンチンとの決戦投票となり、大方の予想を覆して圧勝した。

 しかし、大会を2年後に控えた開催国は、マグニチュード8.5の大地震に見舞われる。5000人以上の死者が出て、一時は開催返上も検討された。だがチリ協会のカルロス・ディトボルン会長は敢然と宣言した。

「我々には何もない。だからこそすべてを捧げようじゃないか」
 
 チリ代表は、首都サンティアゴで6万6660人を収容するナショナル・スタジアムでグループリーグ(GL)を戦ったので、毎試合6万5000人を超える観客が集まった。この大会からGL後のプレーオフは廃止され、勝点が並んだ場合は得失点差で順位が決められることになった。

 幸先良く初戦でスイスを3-1で下したチリは、ノックアウトステージへの進出をかけてイタリアと対戦する。イタリアは、前回ブラジル代表の優勝メンバーで大会後にミランへ移籍したジョゼ・アルタフィーニ(ブラジル代表ではマゾーラ)や、1957年当時の世界最高額でユベントスに加入した元アルゼンチン代表のオマール・シボリらをチームに加え、豪華ラインナップを揃えていた。

 だが、試合は最初から荒れまくった。開始8分には、チリのオノリーノ・ランダが、イタリアのファウスト・モーラを蹴飛ばし、その報復に出たジョルジョ・フェッリーニが退場宣告を受ける。

 さらに主審の背後ではチリのレオネル・サンチェスが、ボクサーだった父親譲りの左フックでイタリアのウンベルト・マスキーオの鼻を折るが、目の前で見ていた副審が報告を怠りプレーは続行。逆に納得のいかないイタリアのマリオ・ダヴィドが悪質なタックルを仕掛けて、チームでは2人目の退場となってしまった。

 両チームのメンバーがピッチ上で入り乱れる戦闘が繰り広げられながら、イタリアだけが前半で2人の退場者を出した試合は、さすがに終盤に2得点したチリが勝利する。

 チリは大会前の4年間で29戦して7勝しかできていなかった。しかし、フェルナンド・リエラ監督が若い選手たちを組織的にまとめ、熱狂的な声援を背に、判定も味方につけて快進撃を見せる。GLを2位で通過すると、準々決勝ではソ連に2-1で競り勝ってベスト4進出を果たすのだった。
 
 GL2戦目でペレを失ったブラジルは、スペインとの3戦目で代役に24歳のアマリルドを送り込んだ。スペインに先制を許したブラジルだったが、ガリンシャのお膳立てからアマリルドが2ゴールを奪い逆転勝利を飾る。

 ちなみにスペイン代表は、8年前の大会でハンガリーのエースとして活躍したフェレンツ・プスカシュを加えていたが、GL最下位で敗退。

 FIFAは、大会後に「生涯1つの代表」と規定を定めた。

 ブラジルはガリンシャが牽引車として再び頂点へと導いていった。準々決勝ではイングランドと対戦。31分、マリオ・ザガロのCKを鋭く頭で叩いて均衡を破る。その後、1度は追いつかれるが、53分にはFKを直接狙うと鋭く変化するボールがゴールを襲う。GKロン・スプリンゲットが大きく弾いてしまい、ババが詰めて2点目。ガリンシャは、59分にもミドルレンジからコントロールショットでネットを揺らし、3ゴール全てに関わる大活躍を見せた。

 準決勝のチリ戦も同じようなシナリオが描かれた。開始9分、左からザガロのクロスをアマリルドがオーバーヘッド。これは味方の足もとに当たってこぼれるが、間髪を入れずにガリンシャが左足で叩き込む。

 続いて32分にも、ザガロのCKをガリンシャが頭で合わせる。前半で1点を返されたが、47分にはガリンシャの突破で獲得したCKから、ババがヘディングで再び突き放す。終始主導権を握ったブラジルが4-2で開催国の勢いを止めた。

 ところが試合終盤、ブラジルに憂慮する事態が待っていた。ガリンシャが相手DFの執拗なマークに苛立ち、膝蹴りを入れて退場処分を受けてしまうのだ。
 
 しかし4日後の決勝戦でも、ガリンシャはピッチに立っていた。舞台裏ではブラジル連盟の懸命な根回しがあったと言われている。しかも、当日は39度の高熱を押してのプレーだったが、まったく輝きが薄れることはなかった。

 対戦相手はチェコスロバキア。GLでは0-0で引き分けていた。ブラジルは前回大会の決勝に続き先制を許した。チェコスロバキアは、この年にバロンドールを受賞したヨゼフ・マソプストが起点となり、勢いよく前線を追い越して飛び出していくと、トーマス・ポスピカルから絶妙のスルーパスが足もとに届く。あとは流し込むだけだった。

 だがわずか2分後、左サイドでスローインを受けたアマリルドが3人に囲まれながらも突破してニアサイドを抜いた。さらに59分にはアマリルドが同じような位置で切り返すと、丁寧なクロスを入れ、ジトが合わせて逆転。78分にも相手GKのミスを見逃さずにババがダメを押す。

 ブラジルはペレを大会序盤で失いながら見事に連覇を達成。小児麻痺で背骨もヒザも曲がり両足の長さが異なる大きなハンディを抱えたガリンシャが、MVPと得点王を獲得した。

 王国の礎を築いたのは、ペレとガリンシャで2人の比較論は絶えることがなかった。ただし2人が一緒にプレーしたブラジルが最強だったのは揺るぎない事実で、40戦無敗の記録が残っている。

文●加部究(スポーツライター)

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配信元: SOCCER DIGEST Web

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