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妻夫木聡、家族を思い壇上で涙止まらず「(戦争が始まる)そんな未来は作りたくない、絶対に」<宝島>

妻夫木聡、家族を思い壇上で涙止まらず「(戦争が始まる)そんな未来は作りたくない、絶対に」<宝島>

「宝島」東京キャラバンに登場した妻夫木聡
「宝島」東京キャラバンに登場した妻夫木聡 / (C)真藤順丈/講談社 (C)2025「宝島」製作委員会

俳優の妻夫木聡が10月2日、新宿バルト9にて開催された映画「宝島」(公開中)東京キャラバンの舞台あいさつに、大友啓史監督、原作者である真藤順丈氏と共に登壇。同作の舞台となったアメリカ軍占領下の沖縄を振り返り、涙ながらに自身の思いを語った。

■企画立ち上げから完成まで6年かかった意欲作

「第160回直木賞」を受賞した真藤順丈による同名小説を実写映画化した同作は、激動の時代を駆け抜けた若者たちの衝撃と感動のエンターテインメント作品。2度の撮影延期の危機を乗り越えながら完成させたプロジェクトだ。

沖縄がアメリカだった頃、いつか「でっかい戦果」を上げることを夢見るグスク(妻夫木)、ヤマコ(広瀬すず)、レイ(窪田正孝)、そして、彼らのリーダーであり英雄的存在のオン(永山瑛太)は、米軍から物資を奪い住民らに分け与える“戦果アギャー”と呼ばれていた。ある襲撃の夜、オンは突然消息を絶つ。残された幼なじみ3人は刑事、教師、ヤクザとなり、それぞれの道を歩みながらオンを捜し続けていた。しかし、アメリカに支配され、本土からも見捨てられ、何も思い通りにならない現実に、やり場のない怒りを募らせ、ある事件をきっかけに抑えていた感情が爆発する。やがて、オンを追い、米軍も動き出す。

■妻夫木聡「沖縄出身ではないから、とてもプレッシャーはありました」

新宿バルト9で最大の収容人数を誇るシアター9で開催された東京キャラバン。上映後、400人を超える観客が同作に込められた圧倒的な熱量に打ちひしがれる会場に、主演の妻夫木、大友監督、真藤氏が笑顔で登壇すると場内から万雷の拍手が送られた。

集まった報道陣からのまばゆいフラッシュとともに、観客からの熱を受け取った妻夫木。早くも感無量の様子で「こうして映画が公開しても、なお皆さんの前に立てることが幸せ。公開を迎えてようやく始まった気もするし、『宝島』と手と手を取り合ってどこまでも歩いていきたい気持ちです」とあいさつし、大友監督、真藤氏とともに感謝を述べた。

9月19日の公開から2週間が経ち、全国各地で鑑賞者からの熱い感想やメッセージ、戦後の沖縄を正面から描く“挑戦”に対する様々な議論がSNSを中心に巻き起こっている。そんな中、物語の舞台・沖縄の地では連日満員、通常の約10倍の動員を記録する劇場もあり、ほとんどの劇場で2週連続土日動員ランキング1位を達成するなどの反響を集める同作。この報告に妻夫木も「僕は沖縄出身ではないから、とてもプレッシャーはありました。ただ誰よりも沖縄の方々の、先人の方々の想いを背負ってきた覚悟はあったので…」と安堵の表情を見せた。

■“191分”という上映時間には称賛と非難が

その後、トークは映画公開後に数多く寄せられた感想や疑問について、妻夫木ら一同が答えていく展開になり、まず初めに触れられたのは、191分という上映時間について。第160回直木賞ほか数々の受賞に輝いた原作小説を手掛けた真藤氏は、「どんな小説でもそうですが、『宝島』でも賛否両論はあった。物語に込めた熱量に没入して称賛していただける声もあったし、非難する声もあった。けれど、それが健全な在り方としてうれしかったし、作り手としては、“黙殺”されてしまうことが一番悲しいので。映画になっても色々な議論が行われていることは良いことだと思っています」と発売当時の反響に触れつつ、映画の反響にも喜びの心境を吐露した。

そんな真藤氏が向き合い続けたエネルギーに深く共鳴したという大友監督。「沖縄で感じた豊かな時間や歴史の厚み、そこで生きていた方々の想いの厚みを表現するには、表面的なものは作れない」と話し、原作の持つスピリットをどうしても皆さんに伝えたかった」と力説する姿に、妻夫木も、「演じているときはグスクとして毎日を精一杯生きることしか考えられなかったけれど、初めて映画を見たときは時間を忘れてしまったし、見終わった後には立ちあがることができなかった」と、振り返った。

さらに「宝島」が描く、アメリカ統治下の沖縄という題材について話が及んだ一同。小説執筆にあたり、徹底的な取材や時代考証に多くの時間を費やしたという真藤氏は、「当初グスクという人物は、東京から沖縄に渡ってきたキャラクターにしようかという構想もあった」と裏話を交えつつ、「でも書けなかったんです。その視点ではとてもこの話は書けないからグスクは現地に生きる人物にしました。沖縄出身ではない自分が沖縄の人になりきれるのか、沖縄の歴史を生きた人々にどれだけ近づけるかというのはすごく大変だった」と当時の苦労について述懐した。

■失った命は取り戻せない…壇上で大粒の涙を流した妻夫木聡

一方の妻夫木は、撮影を通して沖縄をはじめ世界の歴史への理解を深めたことに触れ、「この映画をきっかけに、初めて知る事実も多かった」と告白。戦時中に生きた方々への想いを巡らせ、「過去にあったことを過去で終わらせてはいけないなと本当に思いました。僕たちは過去を知ることで痛みを知ることができる。痛みを知ることでこの先『同じ過ちを繰り返してはいけない』と未来に繋げることができる。教科書を見てなんとなく分かってる気になったらダメなんだと思う」と強調。

そのうえで、「また僕たちは武器を持ってしまうかもしれない。でも武器を持っちゃったらまた戦争が始まってしまうかもしれない。その中で失った命は取り戻せないわけで、そういう時代は2度と来てほしくないと思った」と続けた妻夫木だったが、「自分も子供がいますし…」と想いがあふれると、壇上で大粒の涙を流し感情を爆発。声を震わせながらも「そんな未来は作りたくない、絶対に」と力強く訴えかける妻夫木の姿に、自然と拍手が巻き起こった。

■コロナ禍に亡くなった祖母「“また会おうね”と思えるようになった」

さらに、イベントの後半には、妻夫木がグスクを演じるにあたり“原点”となった佐喜眞美術館の館長・佐喜眞道夫氏から手紙が届くサプライズも。

代読するMCに真剣に顔を向け、またもあふれる涙をこらえて1つ1つの言葉を噛みしめた妻夫木。すべてを聞き終えた妻夫木は、再び言葉を詰まらせながら「佐喜眞美術館で拝見した『沖縄戦の図』というのは、『宝島」と向き合ううえで、僕にとっての支えだった。もはや、自分が生きるうえでの一生の“核”のような存在になったと思う。今後訪れた時も、『妻夫木、ちゃんと生きているのか』って言われると思うんです。そのたびにきっと、色んなことを思い出すんじゃないかなと思います」と感慨深く語った。

最後に、「僕は、映画を通して沖縄に触れて死生観が変わりました」と静かに語りかけた妻夫木。コロナ禍に祖母が亡くなったことを明かし、「何もできなかった自分が本当に悔しかった」と涙が止まらない妻夫木は、「それでも、『宝島』を通して死生観が変わって、『おばあちゃんはおじいちゃんに会いに行ったんだな』、『どうしようもなく会いたかったんだな』と思ったら、『また会おうね』と思えるようになったんです。僕は『宝島』でいっぱい宝が見つかった。だから、皆さんもいっぱい宝を見つけてほしい。これまでにいただいた感想の中で、『今すぐ帰って子供を抱きしめたい』という言葉がありました。僕自身も同じ気持ちになったし、それが僕にとって映画を作る意味だし、俳優をやっている意味だとも思っています」とメッセージが送られると、場内は割れんばかりの拍手に包まれた。

フォトセッションでは、400人を超える観客らとともに、「たぎれ、東京~!」と声を上げ、この日一番の熱気に包まれ舞台あいさつは締めくくられた。


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