永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は菅直人(下)をお届けする。
原発事故の対応で“イラ菅”爆発
平成23(2011)年3月11日の午後2時46分、宮城県三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、高さ10㍍を超える津波が北海道から千葉県までの太平洋沿岸を襲った。この地震と津波による災害が「東日本大震災」である。死者、行方不明者は1万8000人以上、その後、震災関連死を含めると、犠牲者は2万2000人を超えた。
一方、この大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故は、国際原子力事象評価尺度で「最も深刻」と定義され、昭和61(1986)年に旧ソ連で発生したチェルノブイリ原発事故に匹敵する「レベル7」に分類された。
福島第一原発の建屋は、津波による電源喪失と炉心溶融(メルトダウン)、それに続く水素爆発で損壊し、極めて大量の放射性物質が大気中に放出されたことで、周辺住民の多くが避難、数十年規模の廃炉作業が進められている。
この前代未聞の国内原発事故には、対応にあたった菅直人首相も、さすがに狼狽したようである。
当時の官邸詰め記者の弁がある。
「事故の第一報を知らされた菅は、執務室で『なんでこんなことになるんだ』などと“イラ菅”ぶりを爆発させ、怒鳴りまくったそうです。周囲がオロオロするなか、翌12日の早朝に自衛隊ヘリで現地入り、15日には東京電力本店(東京・内幸町)に乗り込み、今度は『(現場からの)撤退などあり得ないぞ』と迫った。
【歴代総理とっておきの話】アーカイブ
民主党内の内紛激化…不信任案提出で菅政権は退陣へ
ところが、菅は最高責任者でありながら、前線指揮官のごとく首相官邸を離れがちで、与野党から批判が巻き起こった。それは『首相の現地訪問で、現場の事故対応が遅れた。危機管理への認識が低すぎる』といった声に集約され、同時に菅は復興への道筋も一向に示すことができなかった。
菅としては、専門家や東電側への不信感があったとされているが、結局は発災後の現場介入において賛否が分かれ、一気に政権の衰退を招く結果となった」
民主党内では、こうした危機管理をめぐって菅への批判が高まるなか、それまで主導権を握られていた小沢一郎グループが巻き返しを図り、菅政権は法案の審議も停滞を余儀なくされた。
また、鳩山由紀夫グループも、首相在任中に対立姿勢を示した菅への“遺恨”か、小沢グループに同調した格好で政権批判を繰り返していた。
一方、野党の自民党、公明党などは、この与党内の混乱を見逃さず、菅内閣への不信任決議案を提出。結局、不信任案は否決されたが、こうした経緯にさしもの菅も万事休すと悟ったか、大震災から約5カ月後の8月26日、正式に退陣を表明したのである。
退陣後の菅は、悲願としながらも一時休止していた四国での「お遍路」を再開、長く議員バッジを着け続けた。政界からの正式な引退は令和5(2023)年11月だったが、その記者会見の席上、大震災に伴う自身の原発事故対応への批判について、こう胸を張った。
「当時はいろんな見方があったが、最終的に私が率先してやったことで、被害があれ以上に拡大せずに済んだと思っていますよ」
どうやら「お遍路」を再開しても、まだ“解脱”には至っていないようだ。
