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「盆栽」2030年には世界3兆円規模に成長? 世界で理解されつつある「侘び寂び」文化と木を愛でることの本質

「盆栽」2030年には世界3兆円規模に成長? 世界で理解されつつある「侘び寂び」文化と木を愛でることの本質

盆栽とストリートカルチャーをミックスしたブランド「TRADMAN’S BONSAI」で注目されている盆栽士の小島鉄平氏。「老人の趣味」と思われてきた盆栽が、いまなぜ若い世代にささっているのか? 伝統工藝を現代建築に取り入れた「工藝建築」で注目を集めている、Z世代起業家の塚原龍雲氏が話を聞いた。

 「本当に美しい盆栽」を世界に伝える

 お気に入りのモノや、歳月とともに味わい深さが増すモノを暮らしに取り入れて愛でることは、その人の心に豊かさを与えてくれる。もっと気軽にいうなら、お気に入りの器が一つあるだけで料理が楽しくなったり、お気に入りの小物を持って出かけると気分が上がったりすることは誰にでもあるだろう。「好み」を持つことは、日々の暮らしに、穏やかな気持ちになれる瞬間を得られることにつながるはずだ。そして、それによって少し救われる人がいてもいいと思っている。(『なぜ日本の手しごとが世界を変えるのか 経年美化の思想』塚原龍雲・集英社新書より)

塚原 小島さんとは2024年の「フォーブス・カルチャープレナー」で、同じタイミングで受賞をさせていただいて、そのときに御縁をいただきました。カルチャープレナーとは「文化資本を軸に新たな価値を創出し、経済活動と両立する新しいタイプの起業家」を意味する造語なのですが、前回対談させていただいた大工アーティストの菱田昌平さんも同時受賞でした。

その後、菱田さんと私とKASASAGIの設計士の3人で、小島さんのギャラリーでお話させていただく機会を頂戴したのですが、そのときのお話があまりに素敵で、もうすでに今回の本の進行中だったのですが、ぜひ小島さんのお話も入れたいということで書かせていただきました。

小島 本、今日受け取ったんですよ。まだ全部は読みきれていないんですけど、先ほど目を通しました。塚原さんは「フォーブス・カルチャープレナー」の授賞式に、かなりパンチの効いたスタイルでいらっしゃったので、最初は「どんなことをされている方なのかな?」と思いましたね。

塚原 そうだ、あのときはオレンジの袈裟で行ったんだ(笑)。 僕は以前より小島さんのことを存じ上げていて、そのお取組も拝見していたので、これを機にお話しさせていただきたいと思い、僕からお声がけをしました。

今のところ、まだ御一緒できているプロジェクトはないのですが、我々KASASAGIが空間の仕事をしていますので、以前こちらのギャラリーで小島さんのお話を聞かせていただいたときから、「こういうやり方で、こういうふうな取組ができるんだろうな」と思い浮かべているプロジェクトがあります。

――小島さんは過去に洋服のバイヤーをしていて、海外での盆栽の受け止められかたに違和感を抱き、そこから盆栽業を生業にしたとのこと。当時、世界における「日本の手しごと」の可能性について感じていたものは?

小島 盆栽だけの話で大丈夫ですか? 僕はもともと、ずっと趣味で盆栽をやっていたので、初めて見た海外の盆栽というものに、日本の「侘び寂び」とか引き算の美学みたいなものが全くなく、足し算しかないと感じたんです。簡単にいうと美しくなかったんですね。日本の盆栽からかけ離れたものを、彼らがかっこいいとかクールとか――そこで「美しい」という言葉が出てこなかったのですが、評価していることにものすごく違和を感じたんです。

そこで僕が持っていた盆栽の画像を見せたら、「わあ、何だこれは? 俺らが知っている盆栽とは全然違う!」と驚かれたことが印象的で、それまではずっと趣味で扱っていた盆栽を、アメリカ人が言うところのクールではない、「本当に美しい盆栽」を世界に伝えることができるのではないかと思ったんです。盆栽を生業にしようと考え始めたのはそこからですね。

塚原 美しい盆栽って、どういう盆栽なんですか?

小島 「侘び寂び」というのは完成がないわけです。海外の盆栽は「完成」みたいなものを表現しちゃってるんですよね。尊さが全くないというか。まだアメリカという国ができておよそ250年ほど。やっぱり歴史というものが浅いからか言葉とかも薄くて、彼らと話をしていても「なんでそういう表現をするのかな」と疑問に思うことばかりでした。

たぶん日本語の「美しい」という言葉の奥行があまり理解できていないんでしょうね。たとえば「虫の音を聴く」と言っても通じない。僕ら日本人にとっては当たり前の感覚でも、「虫の音って何?」「それを聴くって何?」とか言われる。季節の変わり目で、それぞれの季節が見せるものがあるじゃないですか。でも「『季節が見せる』って何?」とか、話をすればするほど通じなくなっていく。ものごとを五感で感じてはいるんだろうけど、六感が全く感じられないというか、強い違和を感じましたね。

でもそれは僕が最初に海外で盆栽を見た14年前の話で、今では日本のカルチャーとか伝統文化というものに、世界中が注目しています。きっと2019年からのコロナ禍を経て、世界的に人々の行動や意識が大きく変わり、「ものごとを見る角度」も変わってきているのだと思います。

だから日本という国の「歴史」にも目が向くようになり、「盆栽とは何百年も生きるものである」とか、なぜ「愛でる」という言葉があるのか?とか、今まで気づかなかったことに気づく人たちが海外で増えてきていることを日々、肌で感じています。

「置き手紙」として木を読む

塚原 ちょっと失礼な質問かもしれませんが、「盆栽のよさって何ですか?」と聞かれたときに、小島さんは何と答えるんですか。

小島 「盆栽のよさ」といっても、ひと言で言うことでもないんですよね。僕が決める定義でもないですし。ただひとつ言えるのは、何百年、何千年と生きているものを「所有している」わけではなくて、「完成させる」ものでもなくて、自分がどれだけ頑張ってこの木を育てて、愛でていたとしても、僕はこの木の「完成」も見られないし、成長の過程を見届けることしかできずに死んでいく。そして次の世代に行く。次の世代も同じことを繰り返していくんです。

もっと言えば、先人が300年前の盆栽を愛でたとき、彼らはきっとこの木に対して、銅線をかけて、成長を促して、剪定をして、毎日水をあげて、太陽の光を当てて、風通しをよくして、根っこの状態を見て、数年に一度は鉢を交換していた。日々それを繰り返していたはずです。でも彼らは死んでしまって、その盆栽は次の世代の手に渡る。それを繰り返して僕の目の前に来たときに、彼らが何をしたかったのか?みたいな「置き手紙」として、僕は木を読む。その木の姿から、先人の意図を酌み取っていくわけです。

「彼らはきっとこの第一の枝をもっと伸ばしたかったんだろうな、そしてここに空間を作りたかったんだろうな」とか、「いや、でも彼らはこの面を正面として向けていたけど、裏にすることによって、もっといいポテンシャルで枝が伸びていき、100年後にはもっといいものができるんじゃないか?」とか、盆栽士は世代を超えて、ずーっとそれを繰り返しているんです。

あえて言えば僕はそこに盆栽のよさを見ているというか、「引き継ぐ」ということですね。自分が所有しているわけではなくて、次の世代に引き継ぐ。そこにネガティブなマインドは一切ない。ポジティブでしかないし、未来のことしか考えない。

そのように未来のことを考えたとき、ひと鉢の盆栽のなかに、この世界は「ある」んですよね。僕が死んだとしても、なくなってはいない。何百年前から何百年後までも、この木が存在している世界線をいま自分は生きている。そういったことも盆栽に教えてもらったと思います。

塚原 小島さんが盆栽を見ると、その木に携わっていた方々が「どういう意図を持ってその木に接してきたのか」が木を通して見えてくる、先人の意図が木の痕跡として残っているような感覚があるんですか?

小島 あります。そうですね、全くその通りです。たとえば一本のデニムがあって、それを農家さんが履き続けた。その農家さんの動きが全部、デニムの色落ちだったりアタリだったり、いろんなものに表れていくじゃないですか。その人の生き方だったり動き方を、一本のデニムが語りかけてくる。それと一緒ですね。どんな人が愛でていたかが見えてくるんです。

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