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AIでは再現できない猪木イズム――蝶野正洋が語る“昭和レスラー”の狂気

AIでは再現できない猪木イズム――蝶野正洋が語る“昭和レスラー”の狂気

蝶野正洋(C)週刊実話Web

アントニオ猪木は究極のアナログ

アントニオ猪木さんをAI技術と最新のロボット工学で蘇らせるという「アンドロイド猪木プロジェクト」が発表されていたね。

このプロジェクトに参画している石黒浩さんは、アンドロイド研究の第一人者。以前、イベントで一緒になったことがあって、興味深いお話をいろいろ伺ったことがある。

石黒さんはAIやアンドロイドの社会的意義まで考えていると思うんだけど、周りで煽っている人たちの中には、単に猪木さんの名前を使ってビジネスをしているだけのように見える人もいる。「アントニオ猪木」の名前を出すなら、もっとプロレス界全体にも還元されるような名目があった方がいいんじゃないかな。

そもそも、アントニオ猪木は究極のアナログというか、AIの対局にあるような存在。“猪木イズム”というのは、究極の「昭和」だからね。基本は根性論で理由や理屈が通用しないし、常に想定外の行動を選ぶ。

そんな猪木さんが作った新日本プロレスで育った人間も、みんな常軌を逸している。リングの外でも勝負にこだわって、メシを喰ったり酒を飲んだりするときでも、絶対に負けちゃいけないと教え込まれている。

それに猪木さんから「行け」と言われたら、絶対に行く。それが当たり前だったからね。

蝶野正洋の黒の履歴書】アーカイブ

安田忠夫に宿った昭和の勝負勘

2月8日に亡くなったヤス(安田忠夫さん)も、猪木さんに「行け」と言われて総合格闘技に挑戦した。考えてみると、ヤスも損得だけでは割り切れないアナログ人間だったね。

ヤスは1963年生まれで、相撲時代は「花のサンパチ組」と呼ばれた小錦、北勝海、寺尾、琴ヶ梅、それに双羽黒こと北尾光司と同い年。ʼ93年に新日本プロレスに入門して、その翌年くらいに会社が付き人として、俺にヤスをつけてくれた。

俺もヤスとは同い年なんだけど、相撲の世界で上下関係を叩き込まれているのもあって、俺に対して実に自然に気を使ってくれていた。ただ、そもそも俺は人にカバンを持たせるようなことがあんまり好きじゃないから、2~3シリーズくらいで離れてもらった。

闘魂三銃士でいえば、俺よりも橋本真也選手の方がヤスとウマがあってたね。橋本選手も昭和のアナログ人間だから、何かと「天下を取る」ということを口走る。カッコいいんだけど、具体的にどうなりたいのかが漠然としてるんだよ(笑)。

ヤスはギャンブル好きだったし、橋本選手の「勝負に出る」という姿勢に影響を受けたというか、通じ合う部分があったんじゃないかな。

そんなヤスの人生最大の勝負が、ジェロム・レ・バンナとの一戦だった。その頃、猪木さんの命を受けて藤田和之選手とか小川直也選手が総合格闘技に挑戦して、何千万ものカネを稼いでいるのを見て、ヤスも目が眩んだというのもあると思うけどね。

でも、そんな一発勝負で見事な勝利を果たして、あれだけのスポットを浴びたんだから、博打打ちとしても本望だったんじゃないかな。ただ、あの勝利が、いい意味でも悪い意味でも、ヤスの人生を狂わせてしまったのかもしれないけどね。

人生の浮き沈みや、その複雑な性格も含めて、ヤスもAI化できないタイプだろうね。昭和というデタラメな時代を生きたプロレスラーたちの心理は、そう簡単には再現できないと思うよ。

「週刊実話」4月2・9日号より

蝶野正洋(ちょうの・まさひろ)
1963年シアトル生まれ。84年に新日本プロレス入団。「nWo JAPAN」を率いるなど〝黒のカリスマ〟として活躍し、2010年に退団。現在はプロレス関係の他に、テレビやイベントに出演するタレント活動、「救急救命」「地域防災」などの啓発活動にも力を入れる。
配信元: 週刊実話WEB

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