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最期は日本人として…『ばけばけ』では描かれてない、小泉八雲が死に際「日本語で遺した」一言とは 長男が語る

最期は日本人として…『ばけばけ』では描かれてない、小泉八雲が死に際「日本語で遺した」一言とは 長男が語る


『連続テレビ小説 ばけばけ Part1 NHKドラマ・ガイド』(NHK出版)

【画像】え、「可愛すぎる」「みんな目鼻立ちがキレイ」 コチラが小泉八雲・セツの子供たち(3男1女)の幼少期の写真です

『思ひ出の記』にはなかったハーンの最期の一言

 連続テレビ小説『ばけばけ』第25週122話では、主人公「雨清水トキ(演:高石あかり)」の隣で、夫「雨清水八雲(レフカダ・ヘブン/演:トミー・バストウ)」が静かに息を引き取りました。この穏やかな最期は、モデル・小泉セツによる回想録『思ひ出の記』に綴られた夫・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の死に方に近いですが、息子の著書ではハーンが最後に、「日本語」でとある言葉を遺していたことが書かれています。

 セツは1914年に発表した『思ひ出の記』のなかで、ハーンが狭心症で亡くなった1904年9月26日のことを、このように振り返っていました。

「(ハーン)は夕食をたべました時には常よりも機嫌がよく、常談など云いながら大笑など致していました。『パパ、グッドパパ』『スウイト・チキン』と申し合って、子供等と別れて、いつのように書斎の廊下を散歩していましたが、小一時間程して私の側に淋しそうな顔して参りまして、小さい声で『ママさん、先日の病気また帰りました』と申しました」

「私は一緒に(書斎に)参りました。暫らくの間、胸に手をあてて、室内を歩いていましたが、そっと寝床に休むように勧めまして、静かに横にならせました。間もなく、もうこの世の人ではありませんでした。少しも苦痛のないように、口のほとりに少し笑を含んで居りました」

 そのほか、亡くなる数日前に庭の桜が返り咲きをしたこと、死の1週間前にも心臓発作が起きてハーンがセツに遺言を残したことなども書かれており、『ばけばけ』最終週が『思ひ出の記』を参考にしているのがよく分かります。

 一方、長男「勘太(演:ウェンドランド浅田ジョージ)」のモデルである小泉一雄は、1931年の著書『父「八雲」を憶う』のなかで、ハーンが死んだ9月26日の夜のことを振り返っており、セツが『思ひ出の記』で語っていなかった情報も書いていました。

 この日は9月とは思えないほど寒かったそうで、ハーンは朝から「オオ、何ぼう悪いの天気。この天気私を殺します」と言い、ただの冗談だと思った家族たちは笑っていたといいます。また、セツの養母・トミが数日前から胃腸を悪くして発熱し寝込んでいたため、ハーンは夕食を手のかからないパンと牛乳だけで済ませたそうです。

 また、ハーンがセツにまた心臓の病気が来たと言ったのは『思ひ出の記』と同じですが、『父「八雲」を憶う』では彼がそのときにウイスキーの水割りを飲んでいたことも書かれています。その後、ハーンはセツと一緒に書斎に行き、しばらくするとセツの「一雄ッ一雄ッ!お花(女中)皆早く来ておくれーエッ!」という叫び声が聞こえてきたそうです。

 一雄は呼ばれて書斎に行ってからの記憶があいまいになっていたようで、気が付くと自分がハーンの胸に取りすがって「パパアーッ!パパアーッ!」と叫んでいたと振り返っています。そのほか、ハーンが口元にうっすら笑みを浮かべていたことや、書斎の机に書きかけの原稿があったことがつづられていました。

 また、一雄はハーンが布団に横になる直前、日本語で「ああ、病気のため……」と言っていたことを、のちにセツから聞いたそうです。それを知った一雄は

「この世に出て最初にギリシャ語を覚え、英語で育ち、仏語を教えられ、ラテン語、スペイン語を勉強したラフカディオ・ハーンが断末魔には『ああ、病気のため……』と惜んだような悟ったような日本語を遺して日本人八雲として消えていきました」

 と書いています。

 40歳で来日したハーンは、最後まで日本語をしっかり話すことはできなかったと言われていますが、死の間際の一言は日本語でした。ギリシャ、アイルランド、イギリス、アメリカ各地、西インドの仏領マルティニーク島と、さまざまな場所を転々とした放浪の人生の末に、ハーンは愛する妻と同じ日本人として死んでいくことができたようです。

※高石あかりさんの「高」は「はしごだか」

参考書籍:『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮出版社)、『父「八雲」を憶う』(千歳出版)

配信元: マグミクス

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