
1989年、冷戦のさなかに北大西洋の深海へと沈んだソ連の原子力潜水艦「コムソモレツ」。
その“沈黙した遺物”が、30年以上経った今もなお、海の底で静かに変化し続けていることが明らかになりました。
ノルウェー放射線・原子力安全局(Norwegian Radiation and Nuclear Safety Authority)らの研究チームは、今回、沈没した「コムソモレツ」から、現在も放射性物質が漏出していることを確認しました。
ただしその影響は、私たちが想像するような広範囲の汚染とは異なる、意外な特徴を持っていたようです。
研究の詳細は2026年3月23日付で学術誌『PNAS』に掲載されています。
目次
- 深海で続いていた「見えない漏出」
- それでも「広がらない放射能」という謎
深海で続いていた「見えない漏出」
原子力潜水艦「コムソモレツ」は1989年、艦内火災によって沈没しました。
水深約1680メートルという極めて深い海底に横たわるこの潜水艦には、原子炉に加えて核魚雷も搭載されていました。
事故後、この残骸は長年にわたり「潜在的な放射能リスク」として監視されてきました。

そして今回、チームは遠隔操作無人探査機(ROV)を用いた詳細な調査により、実際に放射性物質が漏出している現場を確認しました。
映像では、船体の特定箇所から海中へと広がる“煙のようなプルーム”が捉えられたとのこと。
漏出は常に続いているわけではなく、換気管や原子炉区画付近などから断続的に発生していました。
採取された水の分析からは、ストロンチウム、セシウム、ウラン、プルトニウムといった放射性同位体が検出されています。
特に潜水艦の直近では、ストロンチウムとセシウムの濃度が通常の海水と比べてそれぞれ約40万倍、80万倍という極めて高い値に達していました。
さらに、ウランやプルトニウムの比率からは、原子炉内部の核燃料が現在も腐食し続けていることが示唆されています。
つまりこの潜水艦は、すでに「過去の事故」ではなく、現在進行形で変化し続ける存在なのです。
それでも「広がらない放射能」という謎
しかし、この話には重要な続きがあります。
これほど高濃度の放射性物質が検出されたにもかかわらず、その影響は驚くほど限定的だったのです。
研究によれば、潜水艦からわずか数メートル離れただけで、放射性物質の濃度は急激に低下します。
つまり、漏出した物質は周囲の海水によって急速に拡散・希釈されているのです。
その結果、海底の堆積物や周辺環境には、顕著な放射能の蓄積はほとんど確認されませんでした。
また、沈没船に付着して生息する海綿やサンゴ、イソギンチャクといった生物からは、わずかに高いセシウム濃度が検出されたものの、明確な異常や損傷は観察されていません。
さらに、かつて損傷していた核魚雷区画は1994年に封鎖されており、兵器級プルトニウムの漏出は現在まで確認されていません。
つまり現時点では、
「漏れてはいるが、広がってはいない」
という、ある意味で奇妙な状況が成立しているのです。
消えない「未来のリスク」
では、この問題はすでに安全といえるのでしょうか。
答えは「安心はできない」です。
今回の研究は、現在の環境影響が限定的であることを示す一方で、別の懸念も明らかにしています。
それは、潜水艦そのものが時間とともに劣化し続けているという点です。
深海は低温かつ高圧という過酷な環境であり、船体の腐食や構造の崩壊は避けられません。
実際に原子炉内部ではすでに腐食が進行している兆候が確認されています。
もし将来的に構造の破損が進めば、現在よりも大規模な漏出が発生する可能性もあります。
さらに、今回のコムソモレツは単なる一例にすぎません。
北極圏には、過去に沈没したり投棄されたりした原子炉や核関連物質が複数存在しています。
この潜水艦は、それらの「未来のリスク」を考える上での重要なモデルケースともいえるのです。
参考文献
Sunken Soviet Submarine Is Leaking Radioactive Material in The Ocean
https://www.sciencealert.com/sunken-soviet-submarine-is-leaking-radioactive-material-in-the-ocean
元論文
Status of the sunken nuclear submarine Komsomolets in the Norwegian Sea
https://doi.org/10.1073/pnas.2520144123
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部

