かつてF1プロジェクトを立て直し、ホンダに30年ぶりとなるタイトルをもたらした元ホンダ技術者の浅木泰昭氏。危機のときに本当に役に立つ人材とは?
浅木氏の著書『危機を乗り越える力 ホンダF1を世界一に導いた技術者のどん底からの挑戦』から一部を抜粋、編集してお届けする。
危機に備えることは人を育てること
企業や組織のような人間の集団が長く存続していると、必ず危機は訪れます。それは当たり前のことです。そういうときに役に立つ人間、頼りにされる人間と、順調なときに役に立つ人間というのは種類が違うと思います。
私はこれまでホンダで何度かの危機に直面し、乗り越えてきました。ホンダにとってF1は危機のときに役に立つ人間を発掘したり、育てたりする役割を担っていると私は考えています。
究極の技術開発競争が繰り広げられるF1で世界一になったという自信をつかんだ数百人の中から才能やセンスのある人間が浮かび上がってきて、会社の危機を救うというのが私の仮説です。
危機に備えろと口で言っても備えられるものではありません。大体、危機はいつ訪れるのかわからないものです。気がついたら目の前に大きな危機が迫っていたというケースがほとんどだと思います。
危機に直面すると、順調なときに役に立つタイプの人間を含め、みんな矢面に立ちたくないので逃げ腰になります。そこで危機に立ち向かう人材を育てることが、危機に備えることになります。
F1は危機を経験するためのいいシミュレーションになります。ホンダの第4期活動を振り返ってみれば、パワーユニットの開発に失敗し、パートナーを組むマクラーレンにバッシングされて、もう撤退か、というどん底まで追いつめられて、そこから脱出してタイトル獲得に成功しました。
数々の危機を乗り越えて「俺ならできるかもしれない」という変な自信をつかんだ人間が、次の危機が来たときにどう活躍するのか。結果はどうなるかはわかりませんが、そういう人材を残すことが危機への対策だと思うのです。
危機を乗り越える力やセンスは、すべての人間が身につけられるものではないと思います。どうやったら危機を乗り越える力を身につけさせられるか、ということよりも、埋もれている人材の中からセンスを持っている人間を発掘して育てることが企業や組織にとっては重要だと思います。
ホンダがF1参戦を継続したのは、センスのある人材を育てたり、掘り起こしたりする場所が必要だからです。私はただF1が好きだからという理由で会社に楯突いて参戦を継続するように動いたわけではありません。そういう場がなくなったら、ホンダがホンダじゃなくなるという強い危機感があったからです。
ホンダにとってF1は、将来への種まきのようなものです。根を張り、芽が出るかどうかはわかりません。それは今、F1で戦っている若い人たち次第です。でも私はリーダーとして種を絶やさないようにまいたということです。まかないと芽は出ないですし、花も咲きませんし、次の種もできません。
危機が人を成長させる
会社が危機に直面してどんどんダメになってくると、変な人間を潰す元気もなくなってきて、むしろ頼らざるを得なくなってきます。
本当にどん底に落ちそうになったときに仕方なしにそういう人間に頼んで、ポッと出てきて世の中を変えるような画期的な商品を開発したり、世界一になるという快挙を成し遂げたりする。それが面白いと思いますし、ホンダはそうやって成長してきた会社です。
今、F1で活躍している若いスタッフたちがリーダーになる10年後、20年後にそういう人間がある一定の確率で出てくるはずだと思い、自分の背中を見せてきました。もちろん見せたら必ずできるものではありませんが、見ないよりは見たほうが近づくことができますし、仕事のやり方を覚えることもできます。
世界一になるという景色を一度も見たことがない者より、見たことがある者のほうが強いと私は思っています。若い人間にとって、このF1での経験がこれからの技術者人生の中で大きな意味があったと信じています。
N-BOXの開発を私と共にやった部下たちも、まったく売れていないホンダの軽自動車のプロジェクトをいちから立ち上げ、多くの困難を乗り越えて、日本一売れる車を世の中に送り出すことができました。そういう経験をした人と、したことのない人とを比べると、やっぱり技術者としての成長度や自信が全然違うと思います。
軽自動車のN-BOXとF1ではまったく世界が異なりますから、違ったタイプのリーダーが育ってくるのではないかと期待しています。
ただ、危機のときに力を発揮する変な人間は順調なときにはあまり役に立たないケースもあります。上に立つ人間は、彼らを踏みつけるぐらいはいいですが、除草剤を撒いて根まで枯らしてしまうと、本当の危機のときに生えてきません。変わり者を排除せずに、いちおう会社の中に居場所を残しておくことが大事だと思います。

