「死域(しいき)」に入ったアクションシーン
──アクションシーンについてももう少しうかがいたんですが、相手をやっつけるシーンではスカッとするんですか。
史進としてはスカッとするんですけど、木村達成としてはストレスを感じますね。棒も重いし、床は滑るしっていう細かいこともそうですし、それを見ている人に気づかせないように、なんでもない顔で強さを表現しなくてはいけないですから。
かといって、ストレスなく気持ちよくできればいいってものでもないんです。ストレスがかかっていたほうが、身体から苛立ちみたいなのが出て、それがリアルに感じられたりするんですよ。身体にどこか故障がある時のほうがアクションシーンが映える、みたいなことが実際あるんです。
今回はそういう意味ではストレスを感じながらやった良さが出ていると思います。ただ、そのおかげで次回の撮影が怖いんです。少し余裕ができて、ちょっと余力を残してやろうとか、そんな考えが生まれた瞬間に死ぬでしょうね、この役は。
だから、役を殺さないように、このキャラクターというものを生かし続けるためには、血反吐を吐く思いで常にやらなきゃいけないんだろうと思ってます。
でも、『水滸伝』は史進に限らず、そんなキャラクターばっかりなんですよね(笑)。
──たしかに。命がけのシーンばかりです。
役をなめてかかったら痛い目遭うぞみたいな、そんな感じですかね。北方先生の『水滸伝』を読んでいてもそう思いますよね。
──「死域」という言葉がありますよね。原作でも第一巻から出てきて『水滸伝』のキーワードの一つ。ドラマでも王進先生のセリフに出てきます。死域とは生と死の境界を越えて、死の領域に入ってしまうこと。北方さんの造語らしいんですけど。
えっ、そうなんですか。北方先生が考えられたんですね。
──北方さんご自身が若い頃に柔道をやっていらして、きつい練習をした経験があって、その後も居合をされたり武道を経験される中で感じた境地だとか。
だとしたら、『水滸伝』の撮影で、僕も死域に踏み込んでいました。何で動けているのか分からない状態になったんです。
アスリートが言う「ゾーン」という言葉をイメージされる方もいるかもしれませんが、それとはまた違うと思うんです。これが終わらないと帰れない、寝られないっていう追い込まれ方をしているからこそ、入っちゃったという感じです。
すでに死んでいるから、苦しいものはなにもない。そういうものなのだと言った。死域では、動き続けたまま、死ぬ
(北方謙三『水滸伝』第一巻「曙光の章」集英社文庫 p.98)。
リミッターを解除するみたいなことだと思うんですよ。人間の身体には本来限界とされているところよりずっと先があるような気がしますね。ふだんはその手前で自分で制御しちゃっている。それが外れた時が死域。そう考えると、その境地ってすごく面白いですね。そうか、北方先生もそこまで到達されたということですよね。
──北方さんとぜひ「死域」について話してほしいですね。お会いになったことはありますか。
顔合わせのときにお会いしましたけど、まだお話はできてないですね。
北方先生に僕の史進をどう思っていただけるかが楽しみでもあり、怖くもありますね。いや、やっぱり楽しみです!
聞き手・構成/タカザワケンジ
北方謙三「大水滸伝」シリーズ公式サイト
https://lp.shueisha.co.jp/dai-suiko/

