16歳、23歳、27歳と3回の結婚と離婚の末に、3人の子どもを育てるバツ3のシングルマザーとなった木下有紗さん(38)。働かずにドラムを叩く夫、経済的DV、不倫、さらには命の危険を感じる逃走劇――。波乱に満ちた結婚遍歴の裏側と、子どもを守るために極限状態で下した数々の決断を振り返る。(前後編の前編)
16歳で結婚・出産も…夫の姿に幻滅
「最初の結婚は、“できちゃった”結婚というより、自分たちの意志で先に“つくっちゃった”結婚、という感じでしたね」
そう語るのは、都内でセラピストとして働く木下有紗さん(38)。当時の民法で定められていた女性の結婚可能年齢の下限である16歳で結婚し、出産を経験した。
「もともとは『将来、芸能界で活躍したい』という夢があって、中学時代から芸能事務所に所属していました。でも母の再婚をきっかけに、その夢を諦めざるを得なくなって…。そこで、もう一つの夢だった『若いお母さんになる』ことを叶えたいと思ったんです」(木下さん、以下同)
母の再婚相手と折り合いがつかなかった木下さんは、「このまま一緒に住みたくない」という思いから、高校進学を断念。芸能活動にも区切りをつけ、中学3年の秋に鳥取に住む祖母のもとへ身を寄せた。
そこで出会ったのが、祖母と同じ会社の寮に住む5歳上の男性。のちに最初の夫となる人物だった。
「私の家系は代々、20歳前後で第一子を出産しているんです。『若いお母さんになりたい』と彼に話したところ、快く受け入れてくれました」
中学卒業後の15歳で妊娠し、16歳の誕生日に入籍。その後、第一子となる女児を出産した。永遠に続くかに思えた穏やかで順風満帆な結婚生活だったが、わずか4年で終わりを迎えることに…。いったい、何があったのか。
「夫が勤めていた会社は、叔父夫婦が経営する家族経営の会社だったんですが、経営不振に陥り、ある日突然、叔父夫婦がいなくなってしまったんです。その影響で、従業員の給料の支払いからクレーム対応まで、すべてのしわ寄せが、私たちの家庭に押し寄せてきました」
それを境に、生活は一変した。木下さんは子どもを保育園などに預け、昼夜問わず働きづめの日々を送った。睡眠時間は1日わずか30分。そんな極限状態ともいえる生活が3カ月続いたある日、昼の仕事を終えて帰宅した木下さんは、思いもよらない光景を目にする。
「夫が、仕事もせずに家の中でドラムを叩いてたんです。仕事がなくなって時間があり余ってるのは分かるんですけど…正直、幻滅しましたね」
積み重なった疲労と不信感は、すでに限界を迎えていた。木下さんは20歳で離婚を決断し、シングルマザーとして新たな人生を歩み始めた。
経済的DVからの逃走劇、海沿いを15分間カーチェイス
2回目の結婚は23歳のとき。お相手は、行きつけの飲食店で働く2歳上の男性だった。交際1年の末に結婚し、男の子を授かるも、その結婚生活は約3年で幕を閉じることになった。
「原因は、彼の経済的DVとモラハラです。私が寝ている間に財布からキャッシュカードを抜かれて、給料を全額ギャンブルに使われたり、『生活費』として渡されるのが月5000円だったり…。一番ひどかったのは、切迫早産で入院した際の医療保険の給付金まで使い込まれていたことですね」
家賃も半年ほど滞納し、取り立ての人物が自宅に訪れたこともあったという。
「それでも外面は完璧だったので、誰に相談しても『あの人がそんなことするわけがない』と信じてもらえませんでした。友人の前では荷物を持ってくれたり、子どもを抱っこしてくれるのに、家に帰ると『なんで俺がやらないといけないの?』『お前は仕事と家事と育児だけやっていればいい』と豹変するんです」
ついに、限界を迎えた木下さんは、2人の子どもを連れて家を出る決意をする。しかし、荷物をまとめていた最中、帰宅した夫と不運にも鉢合わせに。
木下さんはとっさに家の前に停めてある軽自動車に乗り込んで逃走したものの、後から追いかけてきた夫の車と、海沿いの国道を約15分間、距離にしておよそ7キロにわたる“カーチェイス”を繰り広げた。
最終的にファストフード店の駐車場に車を停め、夫の助手席に乗り換えて話し合いを試みたものの、事態は収拾しなかった。
しびれを切らし、車外に出ようとした瞬間、木下さんは羽交いじめにされ、車から突き飛ばされた。夫は息子を奪い、抱きかかえたまま渡そうとはしなかった。木下さんは急いで警察に連絡し、離婚が成立するまでの間、息子は児童相談所で一時保護され、親権を巡る裁判へと発展した。
「旦那に子どもをあずけて命を脅かされるぐらいだったら、離婚が成立するまで息子を児童相談所にあずかってもらう決断をしました。その1年半が、人生で一番辛い時間でした」
当時、木下さんは長女を連れて千葉の母親のもとに身を寄せながら、毎月、鳥取へ通い裁判に臨んだ。
「1歳半の、一番可愛い時期の息子に会えない寂しさと辛さは大きかったです。施設にタブレットを預けて、仕事の合間にテレビ電話で息子の顔を見るのは、唯一の支えでした」
およそ1年半におよぶ裁判の末、親権を勝ち取った瞬間のことは、今も鮮明に記憶に残っているという。
「児童相談所に息子を迎えにいったとき、職員の方々がみんな泣いていたんです。理由を聞くと、その施設では、預けられた子どもを親が迎えにきたケースが、何十年という歴史の中で初めてだったそうで…。その事実に、私自身も衝撃を受けました。『裁判で負けるわけない』と思いつつも、やっぱりずっと不安だったので。親権を勝ち取ったときは、心からホッとしました。これで、いつでも息子に会えるんだって」
こうして木下さんは、26歳で2回目の離婚を経験することとなった。

