永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は野田佳彦(上)をお届けする。
内閣支持率は予想を上回る60%
先の衆院選では立憲民主党代表として、昨日まで自民党と政権を組んでいた公明党と手を握り、直前に衆院で「中道改革連合(以下、中道と略)」を結成したのが、この野田佳彦であった。
結果、新党の中道は民意を得られず、公示前の両党合わせての167議席が、じつに49議席と壊滅的敗北を喫したのは、読者諸賢の記憶に新しいところでもある。
大敗北が決まったあと、野田は斉藤鉄夫(公明党の前代表)と共に中道の共同代表を辞任し、役員会後の記者会見で「(自身と斉藤の2人には)どうしても時代遅れ感がつきまとっていた。万死に値すると思っている」と〝無念の弁〟を述べたのだった。
しかし、思い起こせば平成23(2011)年8月、前任の菅直人が退陣し、野田がその後釜として首相に就任したときも、強いリーダーシップへの期待があったわけではなかった。
だが、前々任の鳩山由紀夫、そして菅はいずれも重心が高く、一種の危うさがあったのに対し、野田には重心の低さを感じさせる雰囲気があった。
また、人物的には親しみやすさがあり、愛称は自らを例えた「どじょう」で、キレはないが実直そうな印象を与えた。ためか、世論の評価は悪くなく、政権のすべり出しはやや地味ながらも、内閣支持率は予想を上回る60%の高さを誇っていた。
その背景には、大きく二つの期待感があったという。
一つは、鳩山、菅の両政権が党内人事で常にゴタゴタを招いていたことから、こうした煩雑さを払拭することである。なるほど、野田は党を仕切る幹事長に、輿石東を起用。輿石は党内左派ながら、小沢一郎ら右派グループとのパイプもあり、各方面への影響力を期待した人事で、まずは成功を収めた格好であった。
二つは、野田に派手さはないが、堅実な政権運営への漠然とした期待感である。政権発足の当初は、自民党からも「野田は鳩山や菅と違い、杓子定規な対決路線を取らず、低く構えて〝融和路線〟で臨んできそうだ。油断はできない」との声もあったのである。
【歴代総理とっておきの話】アーカイブ
民主党内は増税の是非をめぐり二分
ところが、芝居の幕が上がると、間もなく観客(国民)の多くは失望感に浸ることになった。政権発足後の臨時国会さなかに、閣僚の放言、失望が重なり、自民党からは一変して「野田政権は意外と早く潰れるのではないか」という見方が出始めた。
しかし、野田自身はこうした声に耳を貸さず、強気な政権運営に徹した。この意外と神経の図太いあたりが、じつは「どじょう」の本性でもあったのである。
財務大臣を務めたこともある野田は、政策的には最重要課題として、前任の菅が持ち出した「社会保障と税の一体改革」を掲げ、消費増税への意欲を示していた。一方、民主党内には異論のあった環太平洋経済連携協定(TPP)への参加検討にも、積極性を見せるなど強気であった。
当時の官邸詰め記者は、のちにこう言っていた。
「野田は財務相時代から、一体改革に『政治生命をかける』と意気込んでいた。財政状況への危機感が強く、財源がなければ政権公約の実現もないと、追い詰められていたからです。さらに、東日本大震災の復興予算として巨額の財源確保が不可避で、消費増税はやむなしという判断だった」
だが、この消費増税は民主党の政権公約に明記されていなかったことから、党内は主導権争いも絡んで増税の是非をめぐり二分されていった。とくに、消費増税に関してノーを突きつけてきたのは、党内最大勢力の小沢グループであった。一体改革の大綱や法案提出の閣議決定にあたって、野田との対立が繰り広げられたのである。
