弁護士だった江口大和さんは、交通事故を起こした男にうその供述をさせたとして、犯人隠避教唆の疑いで横浜地検に逮捕され、250日間勾留されることになった。拘置所での生活で感じた「屈辱」とは…。
『取調室のハシビロコウ: 黙っていたら、壊された。 ある弁護士の二五〇日勾留記』より一部抜粋、再構成してお届けする。
普通の暮らしが奪われる
プリズンの独房には、時計がない。身に着けていた腕時計やスマートフォンは、拘置所に入るときに「預かり」の名目でとり上げられてしまうため、時刻を知る手段は失われる。
しかも、看守に現在の時間を尋ねても、「教えられない」とつき放される。独房にも取調室にも時計はなく、夕方にラジオ放送が流れるまでは時刻がわからない。
その理不尽さは、まるでカフカの小説の世界に迷いこんだかのようだ。こうして中の人は、時刻を目安にして行動することができなくなり、時間の感覚は徐々に薄れてゆく。
その一方で、プリズンの生活は、厳格な時間割に従って進む。食事も午睡も体操も、看守の号令と放送によって、突然に始まり、突然に終わる。その理不尽な秩序の中で、中の人は時間割に従うことを強いられ、やがて自分の生活の主導権を失ってゆく。
この時間割がどのようなものかは、中の人には知らされない。それでも、250日間の観察から、横浜プリズンの当時の時間割をおおまかに再現してみた。
起床の音楽が流れて、プリズンの朝は始まる。中の人はめいめい、布団を片づけ、顔を洗ったりほうきで部屋を掃除したりする。
布団や毛布のたたみ方、文机や私物を置く位置は規則で定められており、片づけの際はその決まりを逐一守らされる。布団や毛布が規則と違う形にたたまれていると、看守から見とがめられ、注意される。
起床から10分ほど経つと「点検」が始まり、看守がふたりがかりでひと部屋ずつ回って点呼をし、中の人に番号を言わせる。
「朝食」が終わってしばらく経つと、担当の看守が「願い事」を聴いて回る。誰かに何かを宅下げすること、書類に印鑑や指印を捺すこと、散髪をすること、出廷の際に書類やノートを持参することなど、何をするにも施設長宛てにお願いをする書類を書いて、許可を請わなければならない。
その後、看守が刑務作業の受刑者を連れて、洗濯物を回収しにくる。中の人は、あらかじめ部屋番号の書かれたゴムを渡されるので、洗濯したい服のタグなどにゴムを縛りつけて提出する。洗濯物は、1日に3点まで出すことができる。
すべてが決められた一日の流れ
洗濯物を出すと、静かな時間が訪れる。本を読んだり、ぼうっとしたりして過ごす人が多い。ここから夕食までの間に、運動の日には30分間の運動が、入浴の日には15分間の入浴が、適宜のタイミングで実施される。
独房の中では、基本的に座ったままでいなければならず、用がなければ立っていることも許されない。私は腰痛の持病を抱えていたので、座る姿勢を強いられるのは苦行だった。
静かな時間が2時間ほど続いた後、「室内体操」の時間になる。10~15分しかないけれど、座ることに疲れた体を動かす貴重な時間だ。独房の中では、筋トレなどの運動はこの時間にしかすることができない。
「昼食」の後は、平日は1時間半、休日は2時間ほど「午睡」の時間になる。まだそれほど疲れていないので、途中で目が覚め、天井を見つめながらあれこれ考え事をしてしまう。
午睡が終わってしばらくしたころに、朝に出した洗濯物が戻ってくる。洗濯物は乾燥機にかけられるようで、戻ってきた直後はほんのりと温かく、冬にはカイロ代わりになる。
平日だけ、14時ごろに「給湯」の時間がある。読んで字のごとく、沸かしたお湯をポットに注いでもらえる時間だ。プリズンで250日間過ごしたけれど、熱いお湯の用途は、カップヌードルに注ぐことしかなかった。
その後、午後の室内体操があり、1時間ほどすると「夕食」になる。昼食が11時台、夕食が16時台と早めなのは、おそらく看守たちが12時台に昼食を食べ、17時に業務を終了させるため、中の人の昼食と夕食が前倒しで実施されるのだと思われる。
夕方の「点検」が終わり、17時ころになると、ラジオ放送が流れだす。外の世界とのつながりを感じて、どこかホッとするひとときが訪れる。
18時になると、「仮就寝の時間になりました」という放送が流れる。「仮就寝」になると、布団を敷いて横になることが許される。ただし、横になると本を読むことが許されないので、私は座ったまま本を読みつづけていた。
21時の時報が鳴ると、「就寝時間になりました」という放送が流れ、プリズンの全体が薄暗闇に包まれる。けれど、すぐに眠れることは滅多になく、あれこれと考え事をしてしまうことが多かった。

