コントの旗手にして、テレビの売れっ子芸人「バナナマン」誕生の陰に、渡辺正行あり! リムジン運転手の設楽と、住み込みで付き人だった日村との知られざる交遊とは? リーダーが、“待たせたな”とばかりに秘話を語ってくれた。
90年代前半、数々の人気バラエティー番組で活躍していた「コント赤信号」のリーダーである渡辺正行(69)。自身でも「最も忙しい時期だった」と語るその頃、運転手兼付き人として現れたのが、「バナナマン」の設楽統(52)だった。
「基本は運転手で、身の回りのお世話もしてくれるみたいな役割で。当時、邦ちゃん(山田邦子)から安く譲ってもらったリムジンに乗っていたんで、その運転をしてくれていましたね」
設楽との思い出の中で最も印象深く残っているのが、運転手となって早々の出来事だという。
「リムジンを運転するのは難しいし、家の近くの道が狭いから『気をつけて運転してね』って伝えておいたんですけど、運転手になって3日目ぐらいに『ぶつけちゃいましたー』って。いやいや、だから言ったじゃんって。それでもう、こういうことは二度と起こさないために、クルマの傷は直さずにいようと。見るたびに思い出してくれって。でも、設楽君が売れてから、この話をしたら『リーダー違いますよ。3日目じゃなくて1日目ですよ』って。もっと悪いじゃねぇかって(笑)」
運転手になって早々に大失態をしでかした設楽だが、付き人としては優秀だったとリーダーは振り返る。
「ぼくがどんな状態であるのが心地いいとか、何をしてほしいかっていうのを自然にできる子だったんですよ。気遣いだとわからないようにできるっていうか。それに、あのキャラでしょ。ほんとに些細なことを注意しても、『はぁーい。そうですかー。すみませーん』みたいな柔らかい受け答えをするんで、あんまり𠮟り甲斐がないっていうかね(笑)。だから、𠮟った記憶はまったくないんですよ」
また、つらく厳しい運転手生活にもかかわらず、一度として嫌な顔をしなかったことも忘れられないと話す。
「今から思えば、大変だったと思いますよ。朝早くから夜遅くまで付き合ってくれてね。ぼくが食事をしたり遊んでいる時でも、ずっと待ってくれてるんですよ。たまに、お小遣いを渡して、『これで時間でも潰しといてね』っていうのはあったけど、ぼくだったらこんな生活おかしいじゃんって思いますもん。それに、いろいろな交友関係についても知ってるはずなのに‥‥それもネタにしないしね。だからずっと設楽君には頭が上がらないんですよ(笑)」
一方、設楽より先にリーダーと出会い、芸能活動をスタートさせていたのが相方の日村勇紀(53)だ。
「当時、高校生だった日村君は『陸上部』っていうコンビを組んで、ぼくの個人事務所に所属してもらってたんですよ。ちゃんとご両親にも『お預かりします』ってご挨拶してね。それで、芸能界の習慣とか礼儀を学んでもらうために、1カ月間だけ住み込みで付き人をしてもらったこともありました。食事も何もかも一緒に行動して。そういえば、日村君も𠮟った記憶がないんですよ。自分で言うのもおかしいんですけど、“身内に厳しい渡辺”で通ってるのに(笑)。バナナマンは2人とも“人間性”がいいんだと思います」
リーダーは、2人がコンビを結成し、テレビなどで活躍するようになってからも、その人間性の素晴らしさを手放しで絶賛する。
「日村君は前の相方と今も付き合いがあるらしくて、『これ、あいつが作った野菜なんだよ』って、うれしそうに周りの芸人に自慢してたって聞いて、やっぱりいいヤツだったんだって。今頃、気づくのも遅いけどね(笑)。売れても、そういうところを忘れずにいられるから、みんなに愛されるんだろうなって思いますね」
バナナマンとの「師弟愛」は青信号で間違いなし!

