誰もが知っているこの世のウソに「人はみな平等である」ということがあります。人なんて、平等であるはずがない。
飲み会や合コンに行くと、さっさとイケメンと仲良くなって、連絡先を交換しておいしい思いができる女子もいれば、何回飲み会に参加しても、ずっと彼氏ができないままの女子もいます。
この理不尽極まりない事実の、どこが平等なのだろう?
誰もが知っているこの世のウソに「人はみな平等である」ということがあります。人なんて、平等であるはずがない。
飲み会や合コンに行くと、さっさとイケメンと仲良くなって、連絡先を交換しておいしい思いができる女子もいれば、何回飲み会に参加しても、ずっと彼氏ができないままの女子もいます。
この理不尽極まりない事実の、どこが平等なのだろう?
もっとも、どこに行ってもイケメンとさっと仲良くなれる女子は、陰で努力をしている……だから努力という観点から見ると、人はみな平等なのかもしれません。
努力の方向をまちがわない限りにおいて。
たとえば、話が飛ぶように聞こえるかもしれませんが……駅でお弁当を買うとき……新幹線でちょっと遠出をするとき、駅弁を買いますよね?
駅の売店には、いろんなお弁当が売られています。
しゅうまい弁当とか、牛肉のしぐれ煮がいっぱい入ったお弁当とか、幕の内弁当とか、いろんなお弁当があります。
幕の内弁当は、おいしいものがいろいろと入っている、いわゆる優等生的なお弁当ですが、ほかのお弁当より売り上げが良くないということがあるそうです。
誰にでも合せられますぅ~

幕の内弁当だっておいしい。でも、「最後のひとり」として、選ばれづらい……こういうことかもしれません。
つまり、「あたし、誰にでも合せられますぅ~」では最後のひとりに選ばれないということなのかもしれない。
そういう優等生的な女子よりも、ほかになにもできないけど、あたしにはこれができるというものを持っている女子のほうが、選ばれやすいものです。
