「『母に捧げるバラード』でやっと、どこの会場に行っても1000人ぐらいお客さんが集まる人気を獲得したんですよ。紅白歌合戦に出て、これで一説によれば、10年食えるって。それが翌年からローカル歩き出したら、みるみるお客さんが引いているの」
これは武田鉄矢が元放送作家・鈴木おさむ氏のYouTubeチャンネル「鈴木おさむに全部ハナシます!!」で語った、にわかには信じられない体験談だ。すなわち、紅白歌手の「転落人生」である。
武田は自身がボーカルのフォークグループ「海援隊」のシングル「母に捧げるバラード」(1973年)がヒットし、1974年「第16回日本レコード大賞」で企画賞を受賞。同年の「第25回NHK紅白歌合戦」に初出場した。
にもわらず、だ。1975年末はアルバイトで皿洗いをしていたと語り、転落の理由を分析している。
「この歳になってやっと分かったんだけど、歌の潮目が変わったんじゃないか。私たちが食えるようになった1974年から正月が明けて次の1975年になると、ユーミンが出てくるわけ。最初は女の子だからちょっと油断して、この手もウケていいなと思ってたんだけど、持ってるフレーズが全く違うのよ。それは衝撃なのよ。田舎もんは絶対使えないフレーズなのよ」
風呂場は「バスルーム」で電車のガタンゴトンが「Ding-Dong」に
そして武田が受けた「衝撃」について、具体的に説明したのである。
「彼女のヒット曲(の歌詞)でね、『あのひとのママに会うために』『バスルームにルージュの伝言』。ママって呼んでる子、いなかったもん。驚嘆すべき単語の違いなの。しかもバスルームでしょ。あれは風呂場だよな。普通、電車って伝統的に『ガタンゴトン』がオノマトペ。ユーミンの世界では『Ding-Dong』走る」
武田が歌詞を引用したのは、荒井由実時代の5枚目のシングル「ルージュの伝言」(1975年2月20日)。スタジオジブリの映画「魔女の宅急便」のオープニングテーマソングに使用されるなど、今も若者を魅了する名曲だ。
かく言う武田だが、映画「黄色いハンカチ」(1977年)で新境地を開拓。あの名作ドラマ「3年B組金八先生」(TBS系)で演じた教師・坂本金八は、胸アツの言葉を駆使して視聴者を魅了したのものだ。
(所ひで/ユーチューブライター)

