
芸術作品は、時に明快で時に難解です。
それゆえ、芸術作品に関して「勘違い」が生じることもあります。
ドイツの美術館に展示されていた1枚の作品は、数十年もの間、「上下逆さま」の状態で飾られていたこともあるのです。
しかも、人々が「逆さま」だと気づいた後も、その作品は逆さまのまま展示され続けました。
いったいなぜでしょうか。
目次
- モンドリアンの『New York City I』が数十年上下逆さまで展示される
- 逆さまだと「分かった」理由と「戻せない」理由
モンドリアンの『New York City I』が数十年上下逆さまで展示される
この不思議な出来事の中心にあるのは、オランダ出身の画家ピエト・モンドリアンの作品《New York City I》です。
モンドリアンは20世紀を代表する抽象画家の1人で、縦線と横線、そして限られた色だけで世界の秩序やバランスを表そうとしたことで知られています。
現実の風景や人物をそのまま描くのではなく、もっと抽象的で普遍的な美しさを追い求めた画家でした。
そのため、彼の作品には空や地面のような分かりやすい目印がありません。
今回話題になった《New York City I》も、そうしたモンドリアン作品の特徴をよく示した1枚でした。

この作品は1941年の作で、モンドリアンが晩年にニューヨークで制作したものです。
この時期の彼は、街のリズムやブギウギ音楽の躍動感に刺激を受け、これまでの静かな幾何学模様よりも、もっと動きのある画面を目指していました。
さらに《New York City I》には、多くの作品とは異なった特徴があります。
色を施した細い紙片や接着性のある帯状素材が使われていたのです。
この作品を見ると、長いあいだ逆さまで展示されていても、すぐには気づかれなかった理由がすぐに分かります。
抽象画で上下が分かりにくく「正しい向き」を示す決定的な手がかりが乏しかったのです。
この作品はニューヨーク近代美術館で1945年に初めて展示され、その後は1980年からドイツのデュッセルドルフの美術館に所蔵されます。
そして数十年にわたり、《New York City I》は、上下逆さまの向きで展示されてきました。
美術館の学芸員たちも、この作品を見た人々も、だれもその誤りに気付くことはありませんでした。
しかし2022年、ある学芸員がこの作品のおかしな点に気づきます。
逆さまだと「分かった」理由と「戻せない」理由
「上下逆さま」に気づいたのは、デュッセルドルフの美術館でモンドリアン展を準備していた学芸員、ズザンネ・マイヤー=ビュザー氏でした。
彼女は作品を見ているうちに、その時点で「下」とされている側で線が密集していることに違和感を覚えます。
さらに重要だったのが制作方法です。
こうした細い帯状の素材を使うなら、重力を利用して上から下へ配置したほうが自然です。
しかしテープの切れ端を見ると、現在の向きでは、まるで下から上にテープを伸ばしていったような状態になっていました。
彼女は「もしこの作品が上下逆さまなら、より自然だ」と感じ、調査を開始します。
そして決め手になったのは、1944年に公表されたモンドリアンのアトリエ写真でした。
そこには《New York City I》が現在とは反対向きに見える形でイーゼルに置かれており、逆さま展示説を裏づける重要な手がかりになりました。
では、なぜこんなことが起きたのでしょうか。
そこは今もはっきり分かっていません。
箱から出すときのミスだったのか、輸送中の扱いに問題があったのか、断言はできません。
ただ、作品に署名がなく、抽象画で上下を見分けにくかったことが、誤りを長く見逃させた大きな理由だったのは確かでしょう。
そして、この話をさらに興味深くしているのが、美術館が「正しい向き」に戻していないことです。
理由は単純で、戻すと作品を傷める危険があるからです。
作品に使われている接着性のある帯状素材はすでにかなり緩んでおり、今の向きで長年重力を受け続けてきました。
ここで180度回転させると、別の方向に力がかかって剥がれたり崩れたりするおそれがあるのです。
だから美術館は、誤っている可能性を認めつつも、そのまま展示を続ける判断をしました。
この出来事は、単なる展示ミスで終わる話ではありません。
私たちは、自分たちが目にする芸術作品を正しく理解できているか問うべきなのかもしれません。
本当に作者が意図した姿なのか、それとも長い歴史のなかで変化した姿なのか、その理解が数十年も間違っていることさえあるのです。
参考文献
This Painting Was Hanging Upside Down in a Museum and No One Realized for Decades
https://www.zmescience.com/other/art-other/this-painting-was-hanging-upside-down-in-a-museum-and-no-one-realized-for-decades/
ライター
矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。
編集者
ナゾロジー 編集部

