リーグ優勝5回、日本一3回を誇る名将・野村克也監督は後年、自身最後の日本一となった年を振り返り、こう語った。「97年の優勝は、開幕戦の小早川の3連発で決まった」。単純にペナントレース中の1試合という位置づけではない。プロ野球開幕戦には、それ以上のドラマが詰まっているのだ。
一定の年齢以上のプロ野球ファンにとって、焼き付いて離れない衝撃の開幕戦が、97年の巨人×ヤクルト戦だろう。前年に古巣・広島から戦力外通告を受け、ヤクルトに移籍したばかりの小早川毅彦が3打席連続本塁打を放ったのだ。
前年、「メークドラマ」でリーグ優勝した巨人の開幕投手は、2年連続最多勝を飾り、まさに脂が乗りきっていたエースの斎藤雅樹。94年から3年連続開幕試合完封の日本記録が継続中であり、連覇に向けて盤石の態勢で臨んできた。
一方で95年に日本一に輝いたヤクルトだが、翌96年は4位に甘んじていた。原因の1つは巨人に対する大きな負け越しで、特に斎藤は完全に「お客さん」扱いしていた。サイドスローにめっぽう強かった小早川の獲得には、そうした裏事情があったのだ。当の小早川は09年、本誌のインタビューに答え、こう語っている。
「2時間ミーティングのうち、6割から7割は斎藤に関するもの。続く桑田や槙原に関しては10分から20分。このチームには、かなり“斎藤アレルギー”があるなと思いました。野村監督の話は、なぜヤクルトが斎藤の投球に苦しんでいるのかに及びました。ワンスリーのカウントになった時、簡単にカーブでストライクを取られ、それを見逃してしまう。ツースリーにされて打ち取られてしまう。誰かワンスリーになった時、そのカーブをガツンと打ってくれ‥‥と言われたのを覚えています」
実際に5番一塁で開幕戦にスタメン出場した小早川は、このミーティングの言葉を思い出していた。第1打席は、初球のストレートをうまく打ってスタンドイン。そして4回に回ってきた第2打席のことだった。
「問題のワンスリーになったんです。当然、『誰かカーブを打ってくれ』という監督の言葉がよぎりました。普通の投手ならフォアボールを出したくないからストレート系の球でストライクを取りにくるところ。打つほうとしても、ストレートのタイミングで変化球を待つのがノーマルな方法で、はなから変化球を待つのは勇気がいる。野村監督が言うところの“打者の一番の屈辱は三振とドン詰まり”のリスクもありましたし。でも、この時は『監督がそこまで言うんだから』と、カーブ一本に狙いをしぼったんです」
カーブを見事に捉えた打球は、右翼スタンド中段に飛び込んでいく。
さらに6回の第3打席は、斎藤の左打者専用の魔球・シンカーをクリーンヒットし、右翼席に弾丸ライナーで運んだ。小早川に対しなす術がなくなった斎藤は、第4打席で攻めきれずに四球を与えるほかなかった。野村監督が優勝後、同年のペナントを振り返って象徴的な場面としてこの開幕戦を挙げた裏には、そんな「秘策」があったのだ。

