「開幕投手」は通常、その球団でエース格の投手に任せられる。そんな球界の常識に真っ向から対抗したのが、04年に中日の指揮官に就任した落合博満監督である。
落合監督が同年の開幕投手に指名したのは、01年のFA移籍から3年間、1軍登板がなかった川崎憲次郎だったのだ。
川崎を巡っては前年03年のオールスターファン投票で、俗に「川崎祭り」と呼ばれる騒動があった。
「ネット上で『川崎をファン投票1位にしよう』という嫌がらせが盛り上がり、最終的に川崎が出場を辞退することになった。そのことに対する忸怩たる思いもあったのでしょう。年明け早々の04年1月に落合監督から開幕投手を告げられた川崎は、この打診を引き受け、調整を進めていきました」(スポーツ紙デスク)
はたして4月2日、ナゴヤドームでの中日×広島の開幕戦では、1274日ぶりの1軍マウンドに川崎が上がる。予告先発のなかった時代で、ファンのざわめきがやまない中、初回は無失点で切り抜けた。しかし2回、5点を献上してノックアウト。チームが逆転して黒星こそつかなかったが、本人は後年の取材で、
「普通なら抑えられていたものが、俺の力はないんだな、これが現実なんだなと思いました」
と語っている。川崎は同年、4月30日にもう一度登板し、一死も取れずに4失点降板、10月に入り戦力外を通告される。引退試合は10月3日の古巣・ヤクルト戦であった。
同年、落合中日は優勝を遂げているが、奇策からの逆転勝利を収めた開幕戦が138分の1試合ではなかったと思えてならない。
ところで、日本人のメジャー挑戦の地平を切り開いた野茂英雄にも、苦い開幕戦があった。94年、敵地での西武×近鉄戦でのことだ。
当時は西武の黄金期。近鉄は常に優勝争いに絡みながらも、あと一歩で後塵を拝し続けた。前年から就任した近鉄・鈴木啓示監督は、戦前から「開幕戦は野茂と心中や!」と公言。その言葉に野茂も応え、8回までノーヒット投球を続けていた。
しかし最終回、味方が4番・石井浩郎の3ランで3対0とようやく先制したかと思いきや、西武の先頭打者・清原和博に二塁打を打たれ事態は暗転。2四球で一死満塁とすると、近鉄ベンチからたまらず鈴木監督は飛び出し、
「ピッチャー交代、赤堀(元之)」
野茂と心中とちゃうんかい!
思わずそうツッコんだのは、本人とファンだけではない。近鉄の守護神・赤堀も同じ思いだった。
「『心中発言』があった上で野茂の好投も手伝い、まったく準備ができていなかったのです。結果、次打者の伊東勤に、開幕戦としては初となる逆転満塁サヨナラ本塁打を被弾しました」(スポーツ紙デスク)
野茂の渡米の一因と言われる「鈴木監督との確執」がこれで深まったかどうかは定かではないが、同年オフに野茂は任意引退を選択し、ドジャースへと旅立つことになる‥‥。

