富裕層とはいえ、在日をルーツにするヨンヒにはハンディがある。娘の大勝負、母は念には念を入れたわけだ。
2008年春、ヨンヒは大学の門をくぐる。制服はグレーのブレザーに紺のスカート、胸の校章バッジが誇らしかった。名門大学で懸命に学び、いずれ労働党員になり、あのドラマ「温かいわが家」の主人公のような人生を─。青春まっただ中、講義が終われば、クラスメートらと笑みをこぼし、平壌の街角を闊歩したが、しばらくすると金ファミリーにまつわるイベントにしばしば動員されるようになる。じっくり勉強するどころではない。
あちこちでマンション建設の槌音が響く。平壌に10万世帯の住宅をつくれ! 金日成生誕100年を迎える2012年へ向け、金正日が発した大号令だった。大学生も駆り出されているらしい。
なにかがおかしい。ヨンヒのあずかり知らぬところで時代は激変しようとしていた。そう、彼女が入学した年の夏、金正日が脳卒中で倒れ、ひそかに金正恩へ権力の移譲が進んでいたのである。ちまたには若きリーダーの登場をにおわせる謎の歌「パルコルム(足取り)」が流れていた。
♪われらが金大将のパルコルム 2月の偉業仰ぎ見て前へ 前へ タッタッタ パルコルム パルコルム さらに高く鳴り響け 輝かしい未来が近づく タッタッタ‥‥。
ヨンヒは淡い期待を抱いた。ひょっとしたら世界に開放された豊かな国になるかもしれない、と。
金正恩が公式デビューするのは2010年9月28日の朝鮮労働党代表者会である。労働新聞に載った写真はスリムながら、金日成そっくりの風貌だった。そして10月9日、メーデースタジアムで開かれたマスゲーム「アリラン」の公演で父と並び、初めて人民の前に姿を現す。ヨンヒはその場にいた。マスゲームに動員され、踊っていたのだ。金正恩はヨンヒのふるさと元山で育った。母は同じ済州島がルーツの在日帰国者だ。因縁深い。
くたくたに疲れながらも、その夜、ヨンヒは彼に背を向けることになるとは考えもしなかった。いや、「脱北」という言葉さえ知らなかった。
鈴木琢磨(すずき・たくま)ジャーナリスト。毎日新聞客員編集委員。テレビ・コメンテーター。1959年、滋賀県生まれ。大阪外国語大学朝鮮語学科卒。礒𥔎敦仁編著「北朝鮮を解剖する」(慶應義塾大学出版会)で金正恩小説を論じている。金正日の料理人だった藤本健二著「引き裂かれた約束」(講談社)の聞き手もつとめた。
写真/初沢亜利

