村瀬秀信氏による人気連載「死ぬ前にやっておくべきこと」。野球マンガ評論家・ツクイヨシヒサをインタビュー(前編)。野球マンガに対する熱い思いをたっぷり語っていただいた。
「好きなものが野球でマンガだっただけ」異端のキャリアの出発点
男は長年にわたる研究の集大成とも言える著作の最後のページを書き終えると、大きなため息をついた。
彼の名は、野球マンガ評論家・ツクイヨシヒサ。
世にマンガ評論家は数あれど、野球マンガを専門に評論活動を行う人物を他に知らない。WBCで世界最多の3回優勝。もはや日本の国技とも言っても過言ではない野球は、その実力だけでなく、文化面でも世界を圧倒する。その中でも世界に類を見ないのが「野球マンガ」だ。『巨人の星』、『ドカベン』、『タッチ』、『キャプテン』『グラゼニ』…などなど、日本には今日に至るまであらゆる切り口から数多くの名作野球マンガが誕生し、野球人口の拡大や文化の形成に大きな役割を果たしている。
そんな野球マンガの黎明期から現在までの歴史、そして表現に到るまでを十余年の時間を掛けて執筆した決定版が齢50歳を迎えたこの節目の年に、いよいよ完成されたのである!
「いや…いいよ。いいのよ。普通にインタビューしてよ。なんか本が出るタイミングでその話をしたら宣伝するみたいで、カッコ悪いじゃない」
ツクイはそう言ってかぶりを振った。野球マンガの登場人物のような一本気で照れ屋な硬骨漢。ツクイとはそういう男である。
それならば…ツクイの略歴を紹介しよう。栃木県足利市に生まれ、自身も進学校で球児として白球を追った経験を持ち、駒澤大学在学中に出版業界の門を叩く。野球ライターとして『週刊ベースボール』『野球太郎』などに執筆するほか、『このマンガがすごい!』(宝島社)の選者を務めたこともある。著作として『あだち充は世阿弥である。』(飛鳥新社)などがあり、野球マンガに特化した研究機関「BBC(ベースボール・コミック)らぼ」を主宰。現在はPodcastを200回近く放送する発信者でもある。
「だから、そういうのいいって。ただの“ええかっこしい”なんだから。3週も続けて話すんだから、気持ち悪いこと言い出したら止めてね。評論家ってのは便宜上の話ですよ。まぁ、世の中に数多の評論家がたくさんいるよ。マンガ評論家というのもいる。だけど、野球マンガ評論家なんてモノ好きは、おそらく僕一人だけじゃないかな。野球マンガってのは韓国にちょっとあるぐらいで、世界にはほとんど存在していない日本独自の文化だからね。僕なんてもともとは何でも屋のライターだよ。ただ、好きなものが野球でマンガだっただけ。そのうちにジャンルを絞っていったんだよ。だって、野球マンガの企画を持っていっても、たとえば『このマンガがすごい!』に持っていけば『ツクイさんは王道の人ですから』と言われる。でも、野球の媒体からは『ツクイさんはサブカルですから』と言われる。どっちつかず。結局、僕のやりたいことをやろうとしたら、そこに旗を立てるしかない。『僕はこれやってます』っていうことを言わないとね。でも、誰もいないってことはイコール誰にも求められてないってこと。そこからはずっと不毛の砂漠に水を撒くようなことをやってきたんですよ」
不毛の砂漠に水を撒く。それは言い得て妙な表現だ。
【死ぬ前にやっておくべきこと】アーカイブ
ラブコメから異世界転生まで取り込む懐の深さ
野球の世界にも、マンガの世界にもそれぞれ評論の土壌はある。しかしその中間にある「野球マンガ」という領域は、あまりにも大衆的であるがゆえに、誰も論じようとはしない。
ツクイはそこに異を唱えた。日本人が面白いと読んでいるもの。何よりツクイが愛してやまない野球マンガに、そのニーズがないはずがない。だからやる。それだけのことだった。
「自分の家の本棚には野球マンガが3100冊以上あるんだけど、別にコレクターじゃない。集めるだけなら、やる気とお金があれば誰だってできる。僕がやっているのは“そこから何を読み取るか”ということのほう。研究材料ですよ。もちろん僕より詳しい人が世の中にいるかもしれない。だけど、プロとして人生の時間を削ってやっているアホウな人間は、少なくとも僕は他に知らない」
ツクイの自宅には連載中の野球マンガが常時並び、単行本すべてに目を通す。少年誌、青年誌、ウェブ連載までチェックする。それを十数年間、一度も途切れさせていない。さらに今回の新刊に収録された野球マンガ年譜は、単行本化された作品のみならず、短期集中連載や読み切り作品までも網羅しようと試みた、おそらく世界で最も詳しい年表だという。
「結局、野球マンガってのは、野球マンガだけで成り立っているジャンルじゃないんですよ。熱血マンガから忍者マンガ、ラブコメ、不良マンガ…あらゆるジャンルの文法を取り込みながら発展してきた。『巨人の星』などの魔球は忍者マンガの術の系譜だし、あだち充先生はラブコメを野球に持ち込んだ。つまり、それだけ野球が日本人の生活に根づいていたからこそ、あらゆる物語の器になれたということなんです。アイドルと一緒でね、バンドが流行ろうが打ち込みが流行ろうが、アイドルは常にそれを取り込んで生き残る。野球マンガもそう。異世界転生が流行れば野球マンガだって転生する。そういう懐の深さがある。それなのに、この国は自分たちが持っている野球マンガという文化資産の価値を、一番分かっていないんですよ」
ツクイの語り口がいよいよ熱を帯びてきた。照れ屋のかっこつけが、好きなことを語るときだけは止まらなくなる。その姿はどこか、9回裏の打席で覚醒する不振の4番打者のような気配を漂わせる。そう。野球マンガという独りぼっちの砂漠に旗を立てた男の物語は、ここから始まるのだ。
(中編へ続く)
「週刊実話」4月16日号より
