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【W杯回顧録】第13回大会(1986年)|“神の手”と“5人抜き”――マラドーナが歴史に名を刻んだメキシコ大会。伝説はこうして生まれた

【W杯回顧録】第13回大会(1986年)|“神の手”と“5人抜き”――マラドーナが歴史に名を刻んだメキシコ大会。伝説はこうして生まれた


 北中米ワールドカップが6月11日に開幕を迎える。4年に一度、これまでも世界中のサッカーファンを魅了してきた祭典は、常に時代を映す鏡だった。本稿では順位や記録の先にある物語に光を当て、その大会を彩ったスター、名勝負、そして時代背景などをひも解いていく。今回は1986年の第13回大会だ。

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●第13回大会(1986年)/メキシコ開催
優勝:アルゼンチン
準優勝:西ドイツ
【得点王】ガリー・リネカー(イングランド):6得点

 ディエゴ・マラドーナが時代を象徴する存在として歴史に名を刻み込んだ大会となった。

 本来1986年大会は、コロンビアで開催されることが決まっていた。だが急速な経済状況の悪化で返上。すでに開催経験を持ち、1970年大会の施設をそのまま使用できるメキシコが代替国に選ばれた。メキシコも大会前年には大地震に見舞われたが、街に惨事の形跡を留めながらも祭典が繰り広げられた。

 メキシコ大会の予選で、日本も初めて現実的に本大会を意識することになった。2年前のロス五輪最終予選で惨敗した森孝慈体制の日本は、大きな注目を集めることもなく、むしろ1次ラウンド(R)での国立競技場の北朝鮮戦などは、相手の応援が上回っていたほどだった。

 しかし北朝鮮を競り落とし、2次Rでは香港を抑えて韓国との決定戦に進出すると、1次Rとは一転、国立は満員の大観衆で埋まった。だが現実的に、すでにプロ化が実現していた韓国との実力差は小さくなかった。
 
 初戦のホームゲームでは先に2点をリードされ、木村和司の伝説的なFKでなんとか望みを繋いだが、ソウルでのアウェー戦も0-1で敗戦。しかしそんな韓国も、世界の舞台を戦い抜く力は備えていなかった。いきなり本大会初戦では、優勝したアルゼンチンと顔を合わせ、全てマラドーナのアシストから3点を奪われて1-3で完敗。ブルガリアとの引き分けで勝点1を挙げるのが精一杯で、グループリーグ(GL)を最下位で終えた。

 メキシコ大会では、2大会連続で採用された2次リーグが廃止され、GLの後はノックアウトフェーズへ突入した。全52試合のうち36試合がGLだったので、7割近い試合が24か国から8か国を振るい落とすために行なわれたことになる。GL6組中4組は3位でも勝ち進むことが出来て、ベルギーは3位通過ながらベスト4に進出した。

 大会には有力な王様候補がふたりいた。南米を代表するマラドーナ、それに欧州で君臨するミッシェル・プラティニである。

 マラドーナより5歳年上のプラティニは、前回大会後にユベントスに移籍し、MFながら3シーズン連続でセリエAの得点王になり、メキシコ大会前年までバロンドールも独占していた。また2年前の欧州選手権でも主将としてチームを牽引し、得点王で優勝トロフィーを掲げていた。

 フランスは、この大会でも強力な中盤を構成し、プラティニの他、アラン・ジレスとジャン・ティガナが前回から継続し、新たにルイス・フェルナンデスを加えていた。ラウンド(R)16で前回優勝のイタリアを2-0で下したフランスは、準々決勝では灼熱のグアダラハラでブラジルと熱闘を繰り広げ、これが大会ベストゲームとなる。
 
 ブラジルは前年にテレ・サンターナ監督が復帰していたが、ジーコが膝の故障を抱え、ファルカンもベンチに座ることが多く、黄金のカルテットで引き続きスタメン出場していたのはソクラテスだけだった。だが前回より華麗な創造力では劣っても、好調なカレッカが加わった分だけ前線の決定力は増していた。

 実際フランス戦でも、17分にカレッカのゴールで先制。しかしフランスも40分にプラティニが31歳のバースデーゴールを決めて追いつく。フランスがやや攻勢の試合で、ブラジルが勝負をかけたのは71分、満を持してジーコを送り込む。ジーコは期待に応えて、最初のタッチで見事なスルーパスを通しPKを獲得した。ところがこのPKを自ら狙って止められてしまう。美しい攻防は120分間を経ても決着がつかず、PK戦にもつれ込んだ。

 先蹴りのブラジルは、最初にソクラテスが失敗。それでも敢えて試合中に失敗したのと同じコースに蹴り込んだジーコも含めて3人が成功する。一方フランスは、最初から3人が成功し、4人目にプラティニが登場。ところが成功すれば決着の状況で、チーム随一のスペシャリストが枠の上に蹴り上げてしまう。だがこの後、ブラジルもジュリオ・セザールが失敗し、フランスがフェルナンデスのキックで準決勝への切符を死守した。

 一方その翌日、白昼のアステカ・スタジアム(メキシコ・シティ)では、別のドラマが待っていた。

 GLを2勝1分で首位通過したアルゼンチンは、R16ではウルグアイを1-0で下してベスト8に勝ち上がっていた。対戦するのはイングランド。4年前にフォークランド紛争が終結してから初めての顔合わせで、スタンドを埋めた11万5千人の観客の大半はアルゼンチン側の応援に回っていた。開催国のメキシコは前日、PK戦の末に西ドイツに敗れており、欧州以外ではアルゼンチンが最後の砦だった。
 
 イングランドは、GL最初の2試合がノーゴール。得点力不足に悩んでいたが、土壇場でガリー・リネカーが開眼。GL最後のポーランド戦でハットトリックを達成すると、R16のパラグアイ戦(いずれも3-0の勝利)でも2ゴールと固め取りで弾みをつけていた。

 ゲームが動いたのは51分だった。マラドーナが左サイドから中央へ切れ込み、ホルヘ・バルダーノとのワンツーを狙う。イングランドは、それを阻止しようとスティーブ・ホッジが何とか足を伸ばしてクリアを試みたが、ボールは真上に高々と浮いた。185センチのGKピーター・シルトンが処理するのに、何ひとつ障害は見当たらなかった。ただひとり無謀な空中戦に挑んだのは、165センチの小さなマラドーナだった。

 ところが次の瞬間、ボールはゴールへと弾んだ。そして副審に確認したアリ・ベン・ナスリ主審(チュニジア)は、ゴールを認めてしまう。マラドーナは、横目で確認すると、敢えてしっかりとガッツポーズを作った。もちろんイングランドの選手たちは、一斉にハンドをアピールしたが、当時主審が判断してしまえばそれが最終決断だった。

 ただしVARとは無縁な時代でも映像は世界中に配信され、マラドーナが左手を伸ばしてボールを捉えたことは誰もが知ることになる。試合後に得点者を問われ、犯人は言った。

「それは神の手と僕の頭だ」

 しかし世紀の“詐欺犯”が、その3分後に今度は至高の伝説を紡ぎ出す。自陣でボールを受け反転して2人を置き去りにすると、迫るテリー・ブッチャーの逆を取り、テリー・フェンウィックとGKまで抜き去って無人のゴールにボールを流し込む。敵将のボビー・ロブソンも「こんな天才がサッカー界にいるのは素晴らしいこと」と認めた。4-4-2でスタートしたイングランドも、ウインガーのジョン・バーンズを送り込み、サイド攻撃からリネカーが1点を返し得点王は引き寄せたが、あまりに戦術変更が遅過ぎた。
 
 5人抜きと神の手。明暗が分かれるふたつの伝説を作ったマラドーナは、完全に大会のスポットライトを独占していく。続く準決勝のベルギー戦でも、2人のDFに先んじてニアサイドへ斜めに走り込むと、ホルヘ・ブルチャガのスルーパスをソフトなワンタッチでゴールへ送り込み先制。さらに中央から3人抜きで追加点を奪い2-0の勝利に導いた。

 逆にフランスの将軍プラティニは、前回大会に続き準決勝の西ドイツ戦で散った。序盤西ドイツにアンドレアス・ブレーメのFKから先制を許すと、焦燥からか前線に居残るようになり、最後はカウンターからルディ・フェラーに追加点を決められた。優勝へのラストチャンスを逸したプラティニは、敗戦のホイッスルを聞くと10番のユニホームを脱ぎスタンドへ投げ入れて去った。

 こうして最後にアルゼンチンへの挑戦権を得たのは西ドイツだった。ライセンス未取得で、ホルガー・オジェク(後の浦和監督)を補佐につけることで監督としてワールドカップに戻って来たフランツ・ベッケンバウアーは「このチームで上位進出は難しい」と考えていたが、2大会連続の決勝戦を前に重要な課題に直面する。

 準決勝のフランス戦では、ヴォルフガンク・ロルフをプラティニのマークにつけて成功した。しかし、同じ策がマラドーナにも通用するとは思えなかった。熟考の末に「大会の主役」封じに送り出したのは、4年後には10番をつけて攻撃を牽引するローター・マテウスだった。
 
 不本意ながらマラドーナ番を引き受けたマテウスは、それなりに責任を全うした。ただしマラドーナがひとりで勝ったと言われたアルゼンチンも、マラドーナを輝かせるだけの質は備えていた。8年前に自国開催の大会を制したセサル・ルイス・メノッティとは対照的なタイプで、この大会のアルゼンチンを指揮したカルロス・ビラルドは言い続けた。

「チームはマラドーナのために、マラドーナはチームのために」

 23分、ブルチャガのFKを、ホセ・ルイス・ブラウンが頭で叩き込み、アルゼンチンが先制する。さらに55分にも、エクトル・エンリケのスルーパスでバルダーノが抜け出し2点目。だが西ドイツも、劣勢から伝統の粘りを発揮した。CKから73分に、カール・ハインツ・ルンメニゲ、80分にはフェラーが決めて土壇場で追いつく。形勢は西ドイツに傾きつつあった。

 アルゼンチンはスイーパーのブラウンが肩を脱臼し、奇しくも70年大会準決勝のベッケンバウアーのように固定したままプレーを続けていた。

 ところが試合が振り出しに戻ってわずか3分後、マラドーナが一瞬自由を得た。西ドイツがラインを上げるが、ハンス・ペーター・ブリーゲルが残ってしまい、入れ替わりにブルチャガが飛び出す。マラドーナはその動きを見逃さず、バウンドしたボールをワンタッチでブルチャガに届ける。フリーで抜け出したブルチャガが確実に流し込み、それが決勝ゴールとなった。

 1970年大会と同じく表彰式が終わるとアステカのピッチには多くの観衆が雪崩込み、かつて上半身裸のペレを囲んだように、優勝カップを手にしたマラドーナを追いかけた。

 このワールドカップ直後のシーズンで、マラドーナはナポリをセリエAの初優勝に導く。

 天才は25歳で成熟期を迎え、この後はプラティニよりペレと比べられるようになった。

文●加部究(スポーツライター)

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配信元: SOCCER DIGEST Web

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