画像診断や創薬など、医療にAI技術が導入されるようになって久しいが、今後この流れはますます加速し、診療や介護、看取りの場面にもAIは欠かせない存在となる。10年後、日本の病院や医療はどこまで変わるのか。
『AIに看取られる日 2035年の「医療と介護」』より一部抜粋・再構成してお届けする。
医師とAIの主従関係は逆転する
もし、誤診のない医療があるとしたら、皆さんはどう思いますか?
AIによって、医療はそんな理想にぐっと近づいています。
絵画鑑賞では、世界各地の美術館や展覧会の情報を瞬時に教えてくれて、作品の来歴や所蔵先を案内してくれる。テニスをプレーするときは、その日の参加メンバーによって場所や値段を考慮して空きコートを探し、予約の手前まで済ませてしまう。哲学的議論や科学的思索を深める対話相手としても、秋の夜長に飽きることなく議論を続けてくれる。
さまざまなウェブサービスは、単なるお仕着せを受け入れるだけにとどまらなくなった。ここ数年の間に、AIは多様な形で急速に私たちの生活に入り込むようになってきました。
特にこの原稿を書いている2025年には目覚ましい伸長を遂げています。文章や絵を作るだけでなく、「目」や「耳」の機能までAIが持ち始めています。
医療現場でも、AIが「病気を見抜く目」として使われ始めているのです。工場の不良品検品や小売や卸売業の需要予測など、産業分野でAIが活用されていることは日々の報道を通じて知られるようになっています。果ては、競馬のオッズ変動から「妙味のある馬」を見抜く分析が可能、などという非日常も含め、さまざまな使われ方が私たちの脳も心も刺激します。
AIはきっと医療の分野にも役立つはずだし、実際すでになんらかの形で役立っているのだろう……そういうイメージは、多くの方が抱いていらっしゃると思います。
ただ、本職の医師を含めてまだまだ多くの人が、近未来の医療におけるAIの役割を、医師を手助けする「優秀な助手」くらいに考えているのではないでしょうか。しかしこの見立ては、人間医師とAIの能力差を考えると、ちょっと的外れかもしれません。
AIはすでに、医療現場で目覚ましい成果を上げています。レントゲンや内視鏡の画像、あるいは心電図の波形をAIに解析させることでいち早く病気を発見する技術は実用化され、放射線科医や内科医の業務効率化に一役買っています。
いままでならば「名医」と呼ばれた医師にしか気づけない、あるいは名医でさえ見落とすような異常を、AIは必ず見つけ出してきます。たとえば、咳の音を聞くだけで病名を見抜く技術が実用化されています。患者さんの立場では、診察室に入る前から診断が始まる未来がもう、すぐそこまで来ているのです。
未来の医療では、AIこそが診断や治療の中心を担い、人間の医師はその判断をもとに患者さんとの対話や調整を行う「協力者」になる――そんな姿が少しずつ現実になってきています。
もし人間医師がAIとの関係で従属的な地位に甘んじることに屈辱を感じたとしても、この流れに抗うことはできないでしょうし、AIを受け入れることに抵抗を感じる医師自体、世代交代が進めば絶滅していくと思われます。
都市部の医師ほど導入が早く、地方の医師ほど抵抗感が強いことは、ごく目先の状況としてはありえますが、すぐに状況は変わっていくでしょう。
もう「名医」はいらない
医師の診断精度は経験や知識に左右されます。しかし、AIは膨大なデータから学習し、常に最新の医学知識を取り入れます。疲労や感情に左右されず、昨日飲みすぎたとか、恋人と喧嘩して落ち込むことも(まだ)ありません。24時間、365日安定した診療を提供できるのです。
もちろん、医療にはAIだけでは代替できない人間的な側面も存在します。しかし、診断や治療計画といった領域では、AIがその能力を最大限に発揮するでしょう。AIが医師の「道具」から「パートナー」へ、さらには「主役」へと変化していく過程は、すでに始まっているといっていいでしょう。
そもそも、「名医」とはどういう医師のことだと思いますか?
こう質問すると、おそらくかなりの割合の人が、医療ドラマに登場するような、膨大な医療知識に加えて独特のひらめきや観察力を武器に診断を行う医師、あるいは「神の手」と評される天才的な外科手術のテクニックを持つ医師をイメージするのではないかと思います。
少し前にヒットした医療ドラマに『グッド・ドクター』という作品がありました。このドラマの主人公に設定されたのは、一度読んだ医学書はすべて暗記してしまう驚異的な記憶力を持ち、また鋭敏な観察力も持つサヴァン症候群(発達障害に伴って現れる、特定分野に突出した能力を持つ症状)の青年医師でした。
この主人公が患者と対峙すると、同僚医師たちは気づかない病変にいち早く気づき、彼の頭脳にインプットされている膨大な医学知識のなかからベストの治療法を選択して治療してしまうのでした。
現実にもこのタイプの「名医」はいます。薬の名前や用量も、珍しい病気の種類もよく記憶していて、その引き出しからすぐ出せる医師が大きな価値を持つ時代はありました。
「あ、A薬なら5㎎で朝晩ね。これ、評判いいよね」というような。
これが一種の「名人芸」化し、そういった知識が多い医師ほど「名医」と呼ばれる傾向はありました。外科医の場合は、手先が器用で手技に長けた人が「名医」と呼ばれるイメージが一般には強いかもしれませんが、実際の外科手術も外科的な知識や過去の手術経験で学んだ経験則が一般の人が思うよりもずっとモノをいう世界です。
しかし、「名医」という概念は、AIの台頭によって変化を余儀なくされます。AIは数百万の症例データから学習し、人間の医師が一生かけても経験できない量の症例を分析できるからです。
名医の知識や経験は個人に属するものでしたが、ことAIとなると、知識はシステムとして共有され、複製がたちどころに行われます。一部の恵まれた患者さんだけでなく、すべての患者さんが「名医」の診断を受けられる時代が来るのです。

