一方で、この間に六代目山口組にとって、喪失感に見舞われる訃報ももたらされた。7月、分裂抗争ピーク時の17年に執行部入りした津田力若頭補佐(四代目倉本組組長)が、急逝したのだ。
4月に当時本部長だった森尾舎弟頭や安東美樹若頭補佐(二代目竹中組組長)とともに当局に宣誓書を提出した当事者であり終結後も執行部の一角としての働きが期待されていた親分だった。和歌山市内の斎場で営まれた葬儀には、司組長に加えて六代目山口組全直参が集い、盛大に同志を見送った。
また、26年2月には、伝説の武闘派組長も物故者となった。山口組直参として勇名を馳せてきた後藤組・後藤忠政元組長が死去したのだ。
同16日に地元・富士宮の斎場で営まれた葬儀には、六代目山口組から竹内若頭が司組長の名代として参列し、その死を悼んだ。
広壮な斎場に弔問に訪れたのは、中部、東海ブロックの直参の親分衆。
交友の広さで知られる後藤元組長らしく、一般の弔問客も際立って多かった。竹内若頭が山口組の功労者へ手厚い弔問を執り行ったのだ。
地元関係者によると、
「自宅で営まれた仮通夜には、髙山相談役が東海地区の舎弟を伴って焼香に訪れたそうです。後藤元組長は08年に山口組から除籍処分を受け、ヤクザ業界から身を引いていた。除籍者への異例ともいえる手厚い弔意は、司組長とともに渡辺芳則五代目体制を支えた功労者への、最大限の花向けだったでしょう」
こうして抗争終了1年を振り返ると、さまざまなことが起きたが、「特定抗争指定解除」という六代目山口組にとっての本願成就には至らなかった。次にもたらされる「衝撃の事態」は果たして朗報となるのだろうか。

