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【W杯回顧録】第14回大会(1990年)|神の手はまたしても見逃され…レッド16枚、イエロー164枚。数字が物語る“停滞”のイタリア開催

【W杯回顧録】第14回大会(1990年)|神の手はまたしても見逃され…レッド16枚、イエロー164枚。数字が物語る“停滞”のイタリア開催


 北中米ワールドカップが6月11日に開幕を迎える。4年に一度、これまでも世界中のサッカーファンを魅了してきた祭典は、常に時代を映す鏡だった。本稿では順位や記録の先にある物語に光を当て、その大会を彩ったスター、名勝負、そして時代背景などをひも解いていく。今回は1990年の第14回大会だ。

――◆――◆――

●第14回大会(1990年)/イタリア開催
優勝:西ドイツ
準優勝:アルゼンチン
【得点王】サルバトーレ・スキラッチ(イタリア):6得点

 セリエAが黄金期を迎えていた。

 当時欧州には3大カップが存在し、チャンピオンズカップはミランが連覇、カップウィナーズカップはサンプドリア、UEFAカップはユベントスが制し、イタリア勢が独占していた。

 1990年、世界最高水準のリーグが繰り広げられるイタリア・ミラノのスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァで、ワールドカップは華々しく開幕した。ピッチ中央には巨大なサッカーボールが据えられ、その周りでレオタード姿の少女たちが舞い、外周をフェッレ、バレンチノ、ミッソーニ、ミラ・ショーンがデザインした大陸別の衣装を身にまとうモデルたちが颯爽と行進した。

 華麗な演出の開会式の後には、大番狂わせが待っていた。開幕戦で前回優勝のアルゼンチンの相手に選ばれたのはカメルーン。並外れた身体能力と荒さを兼備し、まず61分にカーナ・ビイクが退場した。ところがその6分後には、オマン・ビイクがマークする相手より半身長近く跳ね上がる常識破りのヘディングで先制。カメルーンは、終盤さらに退場者を出し最後は9人で戦うことになるが、アルゼンチンを下すショッキングな幕開けを演出した。

 グループBでアルゼンチンを抑えて首位通過したカメルーンは、ラウンド(R)16でも、38歳ロジェ・ミラの活躍などでコロンビアを下し、アフリカ勢最高のベスト8まで勝ち上がる。それはフットボールの未来を照らす数少ない前向きなエピソードだった。

 だが反面、両チーム合わせて2枚のレッドと4枚のイエロー、また左足首の故障もあり精彩を欠くディエゴ・マラドーナ…、開幕戦は大会の行方を示唆していたとも言える。
 
 追い込まれたマラドーナは、この大会でも「神の手」を使った。2戦目の相手はソ連。開始早々のCKからオレグ・クズネツォフのヘディングシュートが枠内に飛ぶ。GK不在の位置でネットを揺するはずのシュートを跳ね返したのが、カバーに入っていたマラドーナ、つまり「神の手」だった。

 大会の分岐点とも言えるファウルだった。もしエリック・フレデリクソン主審が反則に気づいていたら、ソ連にPKが与えられ、決定機阻止のマラドーナにはレッドカードが出ていたはずだ。ところが「神の手」は再び看過され、アルゼンチンはソ連を2-0で下してR16へと生き残る。開幕戦で金星を献上したアルゼンチンは、その後マラドーナの神通力と幸運を味方に、今度は次々に番狂わせを起こしていくのだった。

 大会前年には「ベルリンの壁」が崩壊したので、フランツ・ベッケンバウアー監督と西ドイツにとっては、これが最後のワールドカップだった。2年前に地元開催の欧州選手権準決勝でオランダに敗れ、必ずしも西ドイツは大本命ではなかった。しかも初戦の相手は、タレントの宝庫だったユーゴスラビア。最大限に危機感を募らせ「この試合にピークを持ってきた」とギド・ブッフバルトは振り返る。

 序盤から飛ばす西ドイツは、この大会で10番を背負いキャプテンを任されたローター・マテウスが左右の足で鮮やかに2ゴールするなど、4-1で快勝。チーム内の不安げな空気は一掃され「これならどことやっても勝てるぞ」とテンションが上がったという。

 逆に分裂前のユーゴスラビアは、イビチャ・オシム監督にメンバー選考を巡り多大なプレッシャーが押し寄せていた。それなら、と腹を括ったオシムは、西ドイツ戦を「敢えてメディアが望むスターたちを並べてみせた」そうである。重要な短期決戦で真偽は測りかねるが、とにかくオシムは2戦目から軌道修正を施し、グループDで2位通過を果たすのだった。
 
 ロケットスタートでGLを悠々と1位通過をした西ドイツを待っていたのは、またも宿命のライバル、オランダだった。フーリガン問題が最高潮の時代で、悪名高きイングランドがサルジニア島への隔離のためにシードされ、オランダも同じグループに組み込まれた。

 2年前の欧州王者は、ルート・フリットが2度の手術から辛うじて大会に滑り込むが、88年、89年と連続してバロンドールを受賞したマルコ・ファンバステンとともに完調にはほど遠く、GLは3試合ともにドロー。得失点差、当該対決ともにアイルランドと並び、抽選の末に因縁深い相手との再戦になった。

 西ドイツのベッケンバウアー監督は、6人のDFを起用して用心深く試合に入った。事件が起きたのは22分だった。欧州王者ミランのオランダトリオのひとり、フランク・ライカールトが、ルディ・フェラーに唾をかけ、なぜかアルゼンチンのファン・ルスタウ主審は両者を退場にした。

 傷が深かったのはオランダのほうだった。10人同士の試合でスペースが広がり、西ドイツはユルゲン・クリンスマンが縦横無尽に走り回って脅威を与え先制点ももたらした。また長身のブッフバルトは、攻撃的資質の高さを遺憾なく発揮し、それからはマラドーナを模して「ディエゴ」と呼ばれるようになる。シュツットガルト育ちの2人の特筆すべき活躍で、西ドイツが2-1と2年前のスコアを裏返した。
 
 一方、南米のライバルと対戦したアルゼンチンは、完全に劣勢だった。南米王者のブラジルは、世界王者のアルゼンチンを自陣に釘付けにして、終始シュートの雨を浴びせ続けた。しかし、ゴールの枠が3本も阻止してスコアが動かず、試合は終盤を迎える。

 神業が飛び出したのは終了9分前だった。敵陣へとボールを運び出したマラドーナが、1人かわしてドゥンガのタックルにも堪えると、相手3人を引き寄せ、リカルド・ローシャのチャージに態勢を崩しかけながら、右足でクラウディオ・カニーヒャに必殺のスルーパスを送った。

 アルゼンチン1-0ブラジル

「奇跡だった」と、マラドーナは言った。

 ブラジルだけではない。オシム率いるユーゴスラビアも、31分に退場者を出しながらも、酷暑のフィレンツェで120分間を戦い抜き、アルゼンチンをKO寸前に追い込んだ。だが今度は神に代わって救世主が現われ窮地を救う。ソ連戦で骨折した正GKのネリー・プンピードに代わってゴールマウスに立ったセルヒオ・ゴイコチェアである。ドラガン・ストイコビッチも、マラドーナも失敗したPK戦で、新守護神は2人のキックをセーブし、準決勝への切符を手繰り寄せた。
 
 開催国イタリアは、当然有力な優勝候補だった。アゼリオ・ヴィチーニ監督率いるアズーリは、得点源のジャンルカ・ヴィアッリが心身ともに万全なコンディションではなく得点力不足に悩まされたが、それでも準々決勝まで無失点を継続していた。幸運を呼び込んだのは初戦交代出場で決勝点を挙げたサルバトーレ・スキラッチで、2戦目以外全ての試合でゴールを挙げることになる。

 さらにヴィチーニ監督はすでにGL突破を決めていたチェコスロバキア戦で、期待の新星ロベルト・バッジョを起用。バッジョは鮮やかなドリブルとフェイクでゴールを奪う。苦しい道のりではあったが、イタリアはローマでの計5試合を勝ち抜きベスト4に進んだ。だが、唯一準決勝だけはナポリへの移動を強いられ、スタジアムにはこんな横断幕も掲げられた。

「マラドニアへ、ようこそ」

 マラドーナは、経済格差もあり北部から見下されてきた南部のナポリに2度のスクデットをもたらした英雄で、実際今ではスタジアムに「ディエゴ・アルマンド・マラドーナ」の名が冠せられている。

 イタリアのヴィチーニ監督は、好調なバッジョではなく、長くチームを牽引してきたヴィアッリをスタメンに選択した。それでも17分にスキラッチが4戦連続ゴールで幸先良いスタートを切る。しかし、この夜のアルゼンチンは大会最高の集中力を見せ、後半カニーヒャのゴールで追いつくと、120分間を互角に渡り合った。

 そして、PK戦では全員が成功し、PKキラーのゴイコチェアが2度のセーブを見せて開催国を振るい落とす。落胆したヴィチーニ監督が言い残した。

「ローマでは誰もが我々を応援してくれたが、ここでは違った」

 西ドイツはベッケンバウアー監督の閃きで度々メンバーが入れ替わったが、選手たちがしっかりと抜擢の期待に応え続けた。準決勝のイングランド戦でも、それまで2分しかプレーしていなかったオラフ・トーンが、出発前に突然指揮官に声をかけられたという。

「90分戦えるか?」
 
 疲労が蓄積したピエール・リトバルスキーやウーベ・バインなど、後のJリーガーを休ませて120分間を戦い、3大会連続でPK戦を制し史上初めての2大会連続同一カードの決勝へと駒を進めた。サルジニア島のカリアリから始まったイングランドの挑戦は、終盤に警告を受け、次戦出場停止が決まったポール・ガスコインの涙とともに終わった。

 残念ながら、この時点で大会は事実上の終焉を迎えていた。7万人以上を呑み込んだローマのスタジオ・オリンピコは、自国への大声援ではなくマラドーナへのブーイングが轟音と化した。主力4人を出場停止で欠くアルゼンチンは、すでに抵抗力を失っていた。

 大半の時間帯で西ドイツ側陣地にはGKボド・イルクナーだけが取り残され、マラドーナのマークを任されたブッフバルトまでもが、まるでアタッカーのように攻撃参加していく。西ドイツが23本のシュートを浴びせ続けたのに対し、アルゼンチンはわずかに1本。53分にホルヘ・ブルチャガがベンチに下がり、64分にペドロ・モンソンが退場になると、もうアルゼンチンはPK戦に一縷の望みを託すしかなくなっていた。

 単調な試合は終盤まで続くが、84分、唐突な幕切れを迎える。マテウスの縦パスをエリア内で受けたフェラーに、アルゼンチンのDFロベルト・センシーニの足がかかりPKが宣告された。本来キッカーはマテウスだったが、スパイクのソールが割れていたためにアンドレアス・ブレーメに譲る。キックの方向は、アルゼンチンの守護神ゴイコチェアの読み通りだったが、正確にサイドネットを揺すった。

「我々がベストチームだと判っていた」

 ベッケンバウアーは、史上初めて主将と監督でワールドカップを手にした。全7試合で155本のシュートを放ち、15ゴールを挙げ、守護神のイルクナーが14度のセーブだけで終えた西ドイツは、確かに最もバランスの取れたチームだった。

 そして煌びやかな演出とは不似合いだった退屈な決勝戦の後には、レッドカード「16」、イエローカード「164」という大会全般の停滞を象徴する数字が残された。

文●加部究(スポーツライター)

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配信元: SOCCER DIGEST Web

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