「能力」で「選ばれる」=「能力主義」ならば平等なのか?
生まれながらの、本人にはどうにもできない出自(身分)で人生が決められるのは不平等。差別的ではない何か、として編み出されたのが「能力」による区別と配分でした。
「選ばれる」ことが、より多くを得るためには不可欠であり、そのために常に努力し続ける国民を生んだのですから、実にあっぱれです。……と、ここで次なる問いが湧き上がります—身分制度は不平等だとして、果たして個人の「能力」によって人が人を「選ぶ」ことを是とする=「能力主義」ならば平等な仕組みなのでしょうか?
「身分制度よりは平等だろ」というお声が聴こえたり、「平等かと言われると違うような……」と頭を抱えていらっしゃる人がいたりするかもしれません。
ただ、今日のあり様を万々歳だとは思えない人は多いのではないでしょうか。
「できが悪いから仕方ないよね。あなたがちゃんとやってればねぇ」と言われて、取り分を減らされても、文句は言いにくい。言いにくければ言いにくいほど、内心どこかモヤッとするもの。
そもそも「でき」って何? 「ちゃんとやる」って? ……と。これを口に出せば出したで、負け惜しみ、ルサンチマン(遺恨)などと言われることもあり、さらにモヤッとします。
他方、もらいが多い側は、それが「正当な競争」の結果であることを、絶えずアピールするきらいもあって、事態は実にややこしい。
書店に行くと、いわゆる著名人の『〇〇力』『武器になる〇〇力』『〇〇する技術』など、著者の分野における「成功」へのハウツー本が、「能力」をタイトルにして、しばしば平積みされています。
こんなとき、社会学者で障害学を専門とする星加良司東京大学教授のことばには膝を打ちます—
「今社会の中で力を持っている人たちっていうのは、これまでの社会において成功を積み重ねてきた人(中略)……自分が成功してきた理由を自分自身の手柄だと思いたい。自分の資質とか能力とかそういうものに紐づけて理解して肯定的なアイデンティティを形成している。それが実は下駄を履いてたんだ*2」、と。
どこかの誰かの「成功」が、本人の「能力」に還元されたストーリーを目にするたびに思います。「みんなもこの『能力』を高められるものなら高めてごらんよ。そうしたら僕/私のように華やかな未来が待っているかもね、アデュー」、そんな声をまき散らして、大丈夫なのかと。
文/勅使川原真衣
脚注
*1 「第百六十四回国会衆議院 予算委員会議録 第二十号 平成十八年三月二日」国会会議録検索システム
*2 【成田悠輔vs東大教授】「既得権益」の抵抗とは?衝撃の「正体」【ウェルビーイングな世界とは?】YouTube
働くということ 「能力主義」を超えて
勅使川原 真衣
2024年6月17日発売1,078円(税込)新書判/264ページISBN: 978-4-08-721319-5【新書大賞2025 第5位!】
他者と働くということは、一体どういうことか?
なぜわたしたちは「能力」が足りないのではと煽られ、自己責任感を抱かされるのか?
著者は大学院で教育社会学を専攻し、「敵情視察」のため外資系コンサルティングファーム勤務を経て、現在は独立し、企業などの「組織開発」を支援中。本書は教育社会学の知見をもとに、著者が経験した現場でのエピソードをちりばめながら、わたしたちに生きづらさをもたらす、人を「選び」「選ばれる」能力主義に疑問を呈す。
そこから人と人との関係を捉え直す新たな組織論の地平が見えてくる一冊。
「著者は企業コンサルタントでありながら(!)能力と選抜を否定する。
本書は働く人の不安につけ込んで個人のスキルアップを謳う凡百のビジネス本とは一線を画する。」――村上靖彦氏(大阪大学大学院教授、『ケアとは何か』『客観性の落とし穴』著者)推薦!
◆目次◆
プロローグ 働くということ――「選ぶ」「選ばれる」の考察から
序章 「選ばれたい」の興りと違和感
第一章 「選ぶ」「選ばれる」の実相――能力の急所
第二章 「関係性」の勘所――働くとはどういうことか
第三章 実践のモメント
終章 「選ばれし者」の幕切れへ――労働、教育、社会
エピローグ

