最新エンタメ情報が満載! Merkystyle マーキースタイル
脳トレ四択クイズ | Merkystyle
18歳で海外に行く決断「明らかに準備が足りなかった」。今の選手に伝えたい「心身両面が整っていないと活躍は難しい」【伊藤翔のサッカー人生①】

18歳で海外に行く決断「明らかに準備が足りなかった」。今の選手に伝えたい「心身両面が整っていないと活躍は難しい」【伊藤翔のサッカー人生①】


 2007年にフランス2部(当時)のグルノーブルでプロキャリアをスタートさせ、Jリーグでは清水エスパルス、横浜F・マリノス、鹿島アントラーズ、横浜FC、松本山雅FCの5クラブで活躍し、2025年末に19年間の現役生活にピリオドを打った伊藤翔。

 10代の頃、アーセナルを率いていたアーセン・ヴェンゲル監督に才能を高く評価され、“和製アンリ”の異名を取ったスケールの大きなFWは、想像以上に山あり谷ありの時間を過ごすことになった。

 本人も4月3日の引退会見で、選手生活を一言で表わすなら「七転び八起き」とコメントしていたが、様々なトライ&エラーの連続だったと言っていい。

 そんな伊藤翔に今回、単独インタビューを実施。3時間にわたって長い、長いキャリアをじっくりと振り返ってもらった。

――◆――◆――

 1988年、愛知県春日井市生まれ。FCフェルボール愛知に在籍していた中学生の頃からU-15日本代表入りした伊藤は、地元開催だった2004年のU-17アジア選手権にも参戦。内田篤人、権田修一らとともに05年U-17W杯の出場権獲得を目ざしたが、まさかの敗退を強いられた。

 それでも伊藤の評価や注目度が低下することはなかった。中京大学付属中京高校に進むと、2007年U-20W杯を目ざすU-18日本代表にも継続的に選ばれ、06年のアジアユース選手権にも参戦。1学年上の槙野智章や内田、同学年の香川真司らとともに、世界大会への切符の獲得に貢献したのだ。

 アーセナルのトライアルを受ける話が浮上したのは、この大会の少し前だったという。

「アーセナルの話は、高校の監督だった道家歩さんが持ってきてくれました。道家さんは、ヴェンゲルさんが名古屋の監督だった時にコーチを務めていて、『とりあえずヴェンゲルに会ってこい』と言われました。

『会ってこいってどういうこと? 俺、友だちでも何でもないし』と思いましたけど(笑)、イングランドに飛び、アーセナルの練習場へ行って、朝から練習に参加しました。『目の前に(ティエリ・)アンリや(ロベール・)ピレス、アシュリー・コールがいるな』というのが最初の感想でしたね」
 
 20年前の出来事をしみじみと述懐する伊藤は、先述したとおり、グルノーブルに加入することになる。当時、同クラブは日本のIT企業「インデックス」が経営権を保有していて、ジェフユナイテッド市原や横浜FCで強化に携わった田部和良氏がGMを務めていた。その田部氏から熱烈なオファーを受けた伊藤は、2007年1月に渡仏したのである。

 同時期に大分トリニータから赴いた梅崎司、2009年に加入した松井大輔ら日本人の先輩たちの力も借りながら、高みを目ざした。が、1年目にハムストリングの負傷で1年以上サッカーができなかったことも影響し、在籍3年半の公式戦出場はわずか5試合にとどまった。
 
「怪我でチャンスを逃すというのは、サッカー選手では多々あることだと思うんですけど、僕自身は明らかに準備が足りなかった。高校生の時は身体をケアしなくても元気で、シュートを打ちすぎて肉離れをするくらいで、本当にまったく問題なかった。そういう選手がプロになってバリバリにやれるかというと、そんなことはないんです。

 今の日本だと、Jクラブは若い選手のフィジカル面をサポートする体制が整っていますけど、当時の海外はそういった環境が皆無に近かった。メディカルの問題で海外挑戦を断念して帰国する選手もいるくらい、本当に難しさがあるんです。

 僕も最初、肉離れだと言われて、1か月、治療して復帰したら、また一日で痛みが出ました。その時は『再発か』と思って、またリハビリをしましたけど、そういうことが4回くらい繰り返された。

『さすがにこれは肉離れじゃないな』と感じて、『日本に帰国させてくれ』とクラブに直談判した。トレーナーや―ドクターには苦言を呈されましたけど、強引に戻って検査してもらったら、手術が必要かもしれない、という話になった。正直、ビックリしましたね(苦笑)。

 その時は保存療法を選びましたけど、そういうゴタゴタがあって1年以上の時間が過ぎてしまった。最初の段階で正しい診断が下されていたら、もっと早く対処できたはず。本当に悔しいです。

 だからこそ、今の選手に言いたいのは、しっかりプロになる準備をすべきだということ。Jリーグに行こうが、いきなり海外移籍しようが、やはり心身両面が整っていないと活躍は難しいと思います」
 
 伊藤は語気を強めたが、彼の発言には説得力がある。高卒や大卒のルーキーが持っている能力を最大限に発揮するためには、やはり万全の態勢を整えておくことが鉄則なのだ。

「今は日本人の海外移籍が増えて、怪我をしたらすぐに日本に帰ってきて、JISSでリハビリをするというケースが増えましたけど、当時はいろんな意味で環境が整っていなかったですね。18歳で海外に行くという決断自体を後悔していませんけど、怪我で長い時間を棒に降ってしまったことは悔やまれます。それも含めて良い教訓になりました」

 ある意味、“空白の3年半”を強いられたことで、伊藤は15歳から乗っていた代表のレールから脱落。2007年U-20W杯も08年北京五輪も逃すことになった。10代後半から20代前半にかけての不完全燃焼感を糧に、彼は清水エスパルスで再起を賭けたのである。

※第1回終了(全11回)

取材・文●元川悦子(フリーライター)

【画像】Jリーガーが好きな女性タレントは?長澤まさみ、ガッキー、広瀬すずらを抑えての1位は…

【記事】今の横浜FCに伊藤翔がいない寂しさ。37歳で現役にピリオド。“当たり前”な熟練の技が好きだった【コラム】

【記事】「大谷翔平って何であんなに凄いの?」中村俊輔の素朴な疑問。指導者としてスーパースター育成にも思考を巡らせる
配信元: SOCCER DIGEST Web

あなたにおすすめ